13日の金曜美術館|アトリエ如瓶|ブログ・ヘッダ画像

このブログは、世の中の様々な「黙っていられん!!」ことを書くことを主旨としております。お客様や、お客様になるかも知れない方が読む可能性のあるブログではありますが、(書き手が勝手に決めたものながら)主旨を尊重し、常体文で記述して参ります。何卒お含みおきの上、お読みくださいますようお願いいたします。

元号考

皆様、こんばんは。館長&代表の如瓶です。

今日が平成の次の元号が決まった日であったことは、もうウンザリするくらいに報道もされていたので、ご存知ない方もないだろうけれど、新元号である「令和」について、私が見たTVのアンケートなどでの反応は、どちらかというと冷ややかで、「しっくり来ない」とか「違和感がある」とかが多勢だった。

昭和生まれの私にとって、今回が2度目に経験する改元だけれど、平成に変わったのは私が大学3年のときで、
「ねえ、今度の『平成』ってどう思う?」
「うーん、イマイチだなあ」
「そうかなあ。俺は無難にまとまっていていいと思うよ。画数も少ないし」
と、当時付き合っていた彼女とそんな話をしたのを思い出すが、平成もそうだったように、評判が冷ややかなのは今だけで、すぐに単純な時代の名称となり、良いも悪いも気にならなくなっていくだろうかと思っている。

私なりに思いを馳せると、平成という時代の日本は、未曾有の災害が度重なったり、犯罪史上に残る凶悪な犯罪が頻発したり、バブル経済崩壊後に長い不況に見舞われたりした一面はあったものの、いろんなものがどんどんゆるくなっていった時代だったと考える。

行政でも規制緩和の流れがやたらと目についたし、ボーダレスという価値観もいろんな所に波及していた感じがするし、ゆるさの例として挙げるのは少し問題があるかも知れないが、ゆとり教育が本格化したのも平成になってからだった。批判する意図は全く無いけれど、性の境目の曖昧さが許容される世の中になったと思うし、そうしたゆるいムードを象徴するかのように、どの県にもどの市にも「ゆるキャラ」が擁立されたりなどして、平成すなわち「ゆるゆる天国」と言っていいんじゃないかとすら思う。

そんなゆるさと並行して、パソコンやインターネットが普及し、職場でも自宅でも、生活は劇的に便利になり、個人が様々な情報を発信できるようになったのも平成だったが、言いたい放題の罵詈雑言やクレームも乱発されたし、インモラルな振る舞いを収めた動画が物議を醸したりなど、どこか風紀の乱れが感じられたりもした。
罵詈雑言やクレームが何故ゆるさなのかというと、自分を律する忍耐力や、まあ良いじゃないかと思う許容力や、こんなことをしたらどうなるかという想像力は、世相のゆるさゆえ失われていったからではないかと思えるからである。

とまあ、平成ゆるゆる説を展開してきた私が、新しい元号の「令和」についてどう思っているかというと、「締まった感じがしていい」という印象を持っていたりする。
発表された由来は度外視して書くけれど、「令」という字は、命令の「令」であり、律令の「令」である。ビシッと言いつけるとか、決まり事という意味があったりする半面、「立派」という意味もあり、敬称として使われる字でもあり、ゆるかった平成のあとに使われる元号として「令」の字が使われていることに、私は好感をもっている次第である。

「ゆるい」のはそれほど悪いことではないと思うし、ストレスを感じない状況であるのも魅力だけれど、「令」な雰囲気のなかに散りばめられてこそ「ゆるさ」が効力を発揮するもの。
別に平成がそうであったように元号の字面で世の中が変わるものではないけれど、喫煙の規制とか短絡的でギスギスした空気になるようなものは排除してほしいけど、世の中もう少し締まった空気が漂っていてもいいと思う。

以上、4月1日のうちにUPしようと思っていたけれど、2日になってしまい、自分ももう少し「令」な感じが足りんなあと思いつつ、折角の改元なので黙っていられませんでした。

東日本大震災の記憶

皆様、お早うございます。館長&代表の如瓶です。

今日が、8年前に東日本大震災が起きた日であることは、昨日辺りからTVのニュースでも再三採り上げられているので、記憶が薄らいできた方々も記憶を新たにされているのではないだろうか。

あの頃、あの時、読んでいる皆さんはどう過ごされていただろうか。
そして凄まじい被害を出したあの災害と、どう向き合われただろうか。

私はというと、離職を決めた職場にいて、先の見えない身の振り方に暗澹たる気分で仕事をしていたときに地震が起こった。
築年数はかなりのものだったが、(確か)4階建てのビルがこんなに揺れるかと思うほどの揺れで、棚の上においてあった過去の作業のデータを収めたサーバが落下し(何でそんなところに保管していたのかは疑問だが)、破損したという被害があったのを目の当たりにしたのを始めとして、ガソリンが入手困難になり、コンビニの食料が売り切れていたりなど、地震の被害や影響としては未経験のことばかりであった。
離職を決めた直後に起こった震災に、周囲の人より一際不安を感じていたのではないかと思っていたのが今も思い出されるし、激しい揺れの中で、先が見えないあまりに「このまま全部壊れて無くなってしまえ!}という気分になったことも、苦々しく思い出されたりもする。

やがて離職して失業者となり、いろんな紆余曲折を経て、震災から3カ月ほど経った被災地へ赴くのだが、更新の頻度も落ちてきたmixiに、被災地でのことを書いた日記をUPしていたので、あれから8年が経過した今日、「黙っていられん!」とばかりにこのブログでも公開しようと思う。

昨年秋くらいから、ブログの企画としてmixiの日記の移植には取り組んできていたとはいえ、こんな日にかつて書いたものの再利用をしようというのは、いくらか気が引けるところがなくもないのだけれど、久しぶりに読み返して当時に思いを馳せると感慨深いものがある以上に、関連するmixi日記の更新の間隔などを見ると、記憶や思いを喚起するためにも、この試みは意義のあることと考えるわけである。
実際のところ、一連の日記の執筆中に職にありつき、新しい仕事のことで頭が一杯だったような事情があったにしても、更新頻度が終盤ほど疎になっているということは、被災地や、被災された皆様に対する気持ちが薄れていったからではないのかと、惨状を目の当たりにしてきた私でさえ思い、恥じ入るところがあって、それゆえ2019年の今日、災害の多かった平成最後の年の3月11日に、過去に書いた文章を公開する意義はあると考えるのである。
戦争や、それ以前の災害など、忘れてはならない記憶を呼び覚ますための一助となれば幸いと、不遜ながら考えている次第である。

関連する日記は、全14回に及び、どれもがなかなかのヴォリュームが有るので、以下のリンクからアクセスして頂き、本文下の次の日記を読むリンクをクリックしながら、時間の許す範囲で読み進めて頂ければと思っております。

要は、全部いっぺんに読むのは大変でしょうから、続きはこの次にしようと思った場合、今回のブログにアクセスして頂き、続きを読んでもらいやすくしてありますよ……ということなのであります。

と、そんなわけで、以下がリンクであります。

気がつけば被災地・其の01

気がつけば被災地・其の02

気がつけば被災地・其の03

気がつけば被災地・其の04

気がつけば被災地・其の05

気がつけば被災地・其の06

気がつけば被災地・其の07

気がつけば被災地・其の08

気がつけば被災地・其の09

気がつけば被災地・其の10

気がつけば被災地・其の11

気がつけば被災地・其の12

気がつけば被災地・其の13

気がつけば被災地・最終回

以上、少し特別な気持ちで黙っていられませんでした。

遅ればせながら…

明けましておめでとう御座います。館長&代表の如瓶です。

さて、随分音沙汰のなかったブログであるが、ここしばらく私がどうしていたのかについては、後日書く…かもしれないけれど、本日分については、タイトル通り遅めの新年の挨拶だけとさせていただきます。何卒ご了承の程を。

ただまあ、デザイン事務所を廃業したわけでもないし、患って入院していたのでもない。むしろ健康的に過ごしていたことだけはお知らせしておこう。

そんなわけで、今年もアトリエ如瓶をよろしくお願いいたします。

新年のご挨拶ゆえ、それほど黙っていられんわけではないブログでした。