子供の頃から車やバイクが好きだった私は、「大人になったら絶対に車やバイクに乗るんだ!」と、思っていました。
車を持つ夢は未だ叶っていませんが、一人暮らしを始めた18歳の時にスクーター(YAMAHA Champ)を愛車としたのをはじめとして、何台かのバイクを乗り継いできました。そこで、Jobimがこれまでに乗ってきたバイクと、走行履歴などを紹介します。
子供の頃から車やバイクが好きだった私は、「大人になったら絶対に車やバイクに乗るんだ!」と、思っていました。
車を持つ夢は未だ叶っていませんが、一人暮らしを始めた18歳の時にスクーター(YAMAHA Champ)を愛車としたのをはじめとして、何台かのバイクを乗り継いできました。そこで、Jobimがこれまでに乗ってきたバイクと、走行履歴などを紹介します。
1986年5月 | 初めての愛車、YAMAHA Champを購入。12回払いのローンを組んだものの、最初で最後の新車であった。 | |
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7月 | YAMAHA Champにて鹿児島へ帰省。東村山→(1.5時間)→川崎港→(22時間)→宮崎県の日向港→(6時間)→実家という経路で、愛車による初の長旅を決行。本当は、予定した日に川崎からのフェリーにすんでのところで乗り遅れ、一日遅れの帰省となった。川崎まで行くのすら遠距離と感じていた頃の大冒険であった。 | |
8月 | 初の速度違反。速度制限50kmの国道を55km/hで走っており、5kmオーバーのはずだったが、原付の法定速度は30km/hで25km/hオーバーという計算となるらしく、当時の道路交通法では一発免停。講習を受ければすぐに乗れるようになったものを、講習代をケチって翌9~11月までの3ヶ月、本当に乗らずに過ごした。 |
1987年8月 | 二度目のChampによる帰省。走行距離は20000kmを超えていたが、日向からの数時間も元気に走ってくれた。 |
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1988年3月 | 初めての自動二輪の愛車、YAMAHA FZ250 PHAZERを12回払いのローンを組んで購入。中古車を扱っているバイク屋さんを十数件探し回って見つけた。Champはそのまま所有し、近所の買い物などに時折利用。 | |
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3月 | 自動二輪中型免許取得。まず直接受験で小型を取り、その後教習所で取得。教習所で中型免許を取得すると8万円(当時)かかるところが、このパターンだと受験料(2300円くらいだったか?)×数回(個人差あり)+限定解除講習料金(確か2万数千円だったか?)で済むと言うことで、こういう形を取った。 | |
3月 | 免許を取った翌日、帰省。とにかくバイクに乗って走って帰りたかったので、予定も何も立てないどころか、地図も持たないまま出発。初の長距離走行、初の高速、初の雨天の高速…と、我ながら命知らずな行い。高速代をケチって京都で高速を降り、サービスエリアで控えておいた国道の番号だけを頼りに走り続けたが、鳥取で力つき、ビジネスホテル泊。翌日も20時間近くかけて命からがらの帰省となった。 鹿児島から東京へは、さすがにフェリーを利用した。 |
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5月 | PHAZER購入後、ムサ美のツーリングのサークルに入部し、初のツーリング参加。 富士五湖などを巡るツーリングで、30台を超える台数のバイクと一緒に走るのは初めてで緊張したが、天気も良くて楽しかった。 |
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8月 | 川崎から日向へのフェリーによる帰省。PHAZERのお陰で、日向~鹿児島間の所要時間が大幅に縮まったのには驚いた。 このときの鹿児島から東京へは、フェリーに乗ることができず、同じくフェリーに乗りそびれたFZR250、FZR250Rに乗る同年代のお二人と高速を走って帰った。 |
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10月 | ツーリングのサークルの2度目のツーリング参加。日光のいろは坂や、尾瀬などの観光地を巡る、2泊の旅。このときもすごい台数だった。 仕切っていた人たちは、宿の手配など大変だっただろうと思う。天気はあまり良くなかったが、楽しいツーリングであった。 |
1989年6月 | 教育実習のため鹿児島へ。PHAZERを通勤(?)のアシとしても使おうと考えてのこと。 日程がギリギリだったため、安全かつ早いルートを考え、高速で大阪へ向かい、大阪から日向へのフェリーに乗った。 大阪までの高速の滋賀県付近で、覆面パトカーに捕まり、20km/hオーバーの2度目の速度違反。反則金9000円くらいで済んだ。 戻りは日向からのフェリーを利用。 |
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10月 | ツーリングサークル3度目のツーリング。山梨県のムサ美の清里寮へ1泊の旅。 清里へ向かう途中に通過した、走り屋の聖地大垂水峠のカーブで、降り始めた雨にアシを取られ、ライダー歴初のバイクがマトモに走らなくなる転倒。 近くのバイク屋さんへバイクを運んだ後、同学年のバイクの後ろに載せて貰い、清里寮へ。あの時、一緒だった方々、本当にご迷惑をお掛けしました。 エンジンの側部が破損し、一週間後に取りに行った。 |
1990年3月 | 卒業を控え、知人が熱海のホテルの招待券を持っているとのことで、買い換えを決めていたJobimは、『供養』と称し、車で出かける他の人たちとPHAZERで同行。 むちゃくちゃ寒かったが、『供養』なので必死に耐えて走った。 |
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4月 | エンジンの不調などの理由でPHAZERを手放し、kawasaki GPZ400Rを購入。30万円を18回のローンで購入。 | |
5月 | ライディング・ポジションが不自然で、スポーツ走行っぽい乗り方ができなかったPHAZERからGPZ400Rに乗り換えた嬉しさから、奥多摩湖、多摩湖と湖をハシゴして走りに行ったところ、多摩湖のホテル街のワインディングの緩い左カーブで転倒。何故かフッと気が抜け、曲がりきれなかった。 左側のカウルにマウントしたウインカー、ステップ等が破損したが、自走で帰り着いた。 たまたまプラスチック加工や塗装を手がけるバイト先にいたため、カウルの破損の修繕と塗装のし直しを自分でできたので、ウンカーのレンズ、ステップなど、軽微な出費で事足りた。 いやあ、無茶してはいけませんね。 |
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8月 | GPZ400Rでは初めてながら、3度目となるバイクの陸路にての帰省。 時効なので書いてしまうが、最高速180km/hのリミッターが付く前のバイクだったので、何キロ出るか試し、195km/hくらいは出たのを確認。 このときの、22時間がJobimの東京~鹿児島間の最速タイム。 無事帰省を果たしたものの、翌日エンジンはかからなくなり、鹿児島のバイク屋さんで、たまたまそのバイク屋さんにあった事故車のGPX400のエンジンを工賃だけで積み替えて貰った。 |
1992年6月 | 学生では無くなったため、用途は通勤が中心となったGPZ400Rだったが、かさむ燃費が辛くなり、燃費の良いツインエンジンかシングルエンジンのバイクへの乗り換えを決意し、HONDA BROS 400へ買い換え。35万円を12回のローンで購入。 | |
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8月 | BROSでは初の帰省。カウルのないバイクでの高速走行はしんどそうだったので、フェリーで帰省。 戻りは、四国は香川県・高松の叔父の家に寄り、その後は陸走という経路をとった。BROSでは初の長距離走行だったが、やはりツインエンジン、カウルなしという条件での高速走行はしんどく感じた。 |
1993年8月 | BROSにて二度目、バイクでの帰省は通算7回目となる帰省で、FZR250Rに乗る弟と帰省。一人での帰省はそれなりの良さがあったが、連れが居るのも悪くなかった。 弟としては初めてのバイクでの帰省で、連れが居て心強かったことだろう。 戻りは、高速づたいに、時々バイクを替えっこしたりなどして帰った。 |
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1994年4月 | ライダー歴の中で、初めてスペアキーも含めてキーを紛失し、にっちもさっちも行かなくなる。 交番に届いていないか聞いてみたところ、鍵穴を覗いて合い鍵を作ってくれる業者を紹介され、お世話になった。 鍵は一つなくしたら、必ず作っておきましょう。 |
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5月 | 大学で同期で山形県に帰って行った友人を訪ねて山形県鶴岡市へ。 鹿児島より近いのだし楽勝だと思っていたが、意外と遠く感じた。 東北自動車道から当時建設中だった山形自動車道というルートをとった。 北海道へ行くまで、Jobimの到達した最北端がここであった。 |
1996年8月 | 主に通勤やモデルさんの送り迎えに活躍してくれ、悩みの種になるような不具合もなかったBROSだが、4気筒のバイクが恋しくなったのと、ZRX400というバイクの存在を知ってから買い換えを考えるようになり、知人のバイク屋さんでオークションで良好な中古を見つけて貰い、35万円を24回のローンで購入。 BROSは足かけ5年乗ったバイクだったし、良くできたバイクだったので、別れが辛かった。 |
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1997年10月 | 通勤の帰り道の青梅街道にて、台風の雨と風の影響でガードレールに激突し、メーター類全損。 緩い右カーブで強風にあおられ、濡れた路面や路肩の銀杏の葉などのため、ブレーキングは余計に危険と判断し、ガードレールに一番ダメージが少なくなる角度(のつもり)でぶつけて停めようと試みた結果。計算通りだったためか、50km/h近くの速度だったにも関わらず、怪我らしい怪我はなく、バイクの損傷も最小限(本当か?)で済んだ。ZRX400初のクラッシュ。修理費約8万。(泣) |
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1998年9月 | 通勤途中、またも青梅街道にて事故。 後方確認を怠ったセダンに乗る初老の男性が、ファミリーレストランに突然入ろうとし、路肩を走っていたJobimのZRX400を巻き込む形で激突。 このときも、50km/h近く出ていた(と思う)が、怪我らしい怪我はなし。 相手の男性が無傷の保険だから…と、警察を呼ばずに示談で済ませようとしたにも関わらず、こちらが予想の範囲で提示した金額よりも修理費が高いとゴネはじめ、揉めに揉めたが、「続きは家裁で決着を付けましょう」と言うと、相手は渋々保険会社に電話。7:3(確か)で修理費を出させた。 こういうことにならないように、事故が起きたら警察を呼びましょう! |
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2002年8月 | 北海道へ初のスケッチツーリング。 詳しくはこちら。 |
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2003年8月 | 北海道へ二度目のスケッチツーリング。 次のupを、気長にお待ち下さい。 |
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2011年7月 | 東日本大震災が起こり、失業していたJobimは、このまま東京でじっとしてはいられない! と、福島県相馬市、岩手県大船渡市へ。大船渡市から相馬市への移動中に動かなくなり、気仙沼のバイク屋さんで発電系のトラブルで、修理には7万以上かかると言われ、泣く泣く廃車。これまでで最も長く深い付き合いをしたバイクだったと言える。 以降、バイクの所有歴なし。そろそろまた乗りたい! |
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