ライダー・Jobimのプロフィール/

子供の頃から車やバイクが好きだった私は、「大人になったら絶対に車やバイクに乗るんだ!」と、思っていました。
車を持つ夢は未だ叶っていませんが、一人暮らしを始めた18歳の時にスクーター(YAMAHA Champ)を愛車としたのをはじめとして、何台かのバイクを乗り継いできました。そこで、Jobimがこれまでに乗ってきたバイクと、走行履歴などを紹介します。

ライダー・Jobimの車歴

■YAMAHA Champ

【画像提供:ジャンクボックス様
初めて購入したバイクは、YAMAHA Champ。初めてのエンジンが付いた愛車だったので、納車時はとても感慨深かった。カラーは赤/黒。黒/赤にするつもりだったが、「シートが赤いとお尻が赤くなりそう」と、我ながら不思議な理由で赤/黒を選んだ。
小柄で軽量のChampは、通学、買い物、帰省にまで役に立ってくれ、'91年頃まで手元にあったが、この年に盗難に遭う。バッテリーも上がり、セルも回らなくなったスクーターをどうやって持ち去ったのか、持ち去る意味があったのか、理解に苦しむ。
'87年に車とぶつかり、フロントのフェンダーが破損したものの、パーツ交換の費用を惜しみ、赤のビニールテープで補修したまま乗り続けた。(画像は同型・同色の車輌)
●所有年:'86~91年●新車価格:12万円●所有後の走行距離:20000kmくらい●転倒歴:重=0回、軽=2~3回●事故歴:1

■YAMAHA FZ250 PHAZER

初めて購入した中型のバイクは、2ストローク車に迫る性能と言われた、250cc初のツインカム・インライン4エンジンを搭載したのが、このFZ250 PHAZER(フェーザー)。
Jobimはこのバイクの甲高いエンジン音に魅せられてPHAZERを1台目と決めた。
高回転域からノビるエンジンのクセは個人的にはお気に入りだったが、上半身の前傾がきついポジションは、やはり難があった。
購入時からあったエンジンの異音と、ジェネレータ・ブラシ摩耗による電力供給異常により、購入から丁度2年ほどで維持を断念。初めて故郷の鹿児島まで乗って帰ったりするなど、2年の付き合いながらいまだに思い出深いバイク。
●所有年:'88~90年●中古価格:28万円●所有後の走行距離:15000kmくらい●転倒歴:重=1回、軽=数知れず●事故歴:なし

■kawasaki GPZ400R II型

本当はGPX400を探していたが、一足違いで買い逃し、一見程度の良かった憧れのkawasaki車であるGPZ400Rを2台目に。
もともとは赤黒のカラーだったが、転倒をきっかけに塗装の道具が揃っていたバイト先で黒の部分を赤に塗り替えた。
大型のカウルのお陰で長距離の高速道路の走行はまさしく快適だったが、初期型に多く発生していた吸気周りの機械的なトラブルがII型のこのバイクにも生じ、鹿児島へ乗って帰ったときにエンジンはおシャカに。そのときたまたまGPX400の事故車のエンジンがタダで手に入り、エンジンに限って当初の希望がかなった。
その後も3年間乗り続けたが、4気筒400ccの燃費の悪さ(15km/リットル)に辟易し、行きつけの美容師さんに引き取って貰った。一番手のかかるバイクだったと言えるだろう。
●所有年:'90~92年●中古価格:30万円●所有後の走行距離:20000kmくらい●転倒歴:重=1回、軽=数回●事故歴:なし

■HONDA BROS 400

過剰装備とまで言われた堅牢なアルミフレームにプロアーム(リアタイヤを片側だけで支えるスイングアーム)、金色にメッキされたエキゾーストパイプ+短くて太いマフラーなど、デザイン、コンセプトともに個性的な要素が満載のBROS 400
乗り換えた当初は、パワー不足(前車比)や、思ったほど良くない燃費(約19km/リットル)、ツインエンジンの聞き慣れないサウンドや振動…など、好印象とは言えなかったが、個性的なスタイリングや、トラブルの少なさや安定感の高い走行性などのHONDA車ならではの地味な魅力に徐々に惹き付けられ、足かけ5年乗ることになった。
やはり4気筒に乗りたくなったのと、長距離の高速走行(主に帰省)では、カウルがないのが辛かったのとで、4台目のバイクの下取りに出した。ヨーロッパのどこかで売られたらしい。
●所有年:'92~96年●中古価格:35万円●所有後の走行距離:30000kmくらい●転倒歴:重=0回、軽=数回●事故歴:1

■kawasaki ZRX 400

大ぶりで重厚感のある車体、角形ライトをマウントするビキニカウルなど、ビジュアル面でも強くアピールするこのZXR400は、4気筒に乗り換えたかった僕にとって、これ以外には考えられない打ってつけのバイクであった。
15年に渡り所有し続けていたこのバイクは、低速時の重低音から、高回転になるにつれて金属音へと変わっていくエンジン音や、前車より設計が新しいためか良好な燃費(約19km/リットル)、ゆったりとしたライディング・ポジションなど、乗り始めてからも長所が次々と実感でき、今もケチを付けるところはない。
kawasaki車にはとかく付き物と言われる機械的なトラブルも少なく、エンジンにしても実質走行距離50000kmを超えた今もそれほど問題は感じられないほど、アタリのバイクであった。2度もの事故を経験し、2011年まで所有したが、東日本大震災のボランティアへ向かった帰りに発電系のトラブルで動かなくなり、気仙沼にて廃車した。
●所有年:'96年~2011年●中古価格:35万円●所有後の走行距離:60000km以上●転倒歴:重=0回、軽=2回●事故歴:2

ライダー・Jobimの歴史

1986年5月 初めての愛車、YAMAHA Champを購入。12回払いのローンを組んだものの、最初で最後の新車であった。
7月 YAMAHA Champにて鹿児島へ帰省。東村山→(1.5時間)→川崎港→(22時間)→宮崎県の日向港→(6時間)→実家という経路で、愛車による初の長旅を決行。本当は、予定した日に川崎からのフェリーにすんでのところで乗り遅れ、一日遅れの帰省となった。川崎まで行くのすら遠距離と感じていた頃の大冒険であった。
8月 初の速度違反。速度制限50kmの国道を55km/hで走っており、5kmオーバーのはずだったが、原付の法定速度は30km/hで25km/hオーバーという計算となるらしく、当時の道路交通法では一発免停。講習を受ければすぐに乗れるようになったものを、講習代をケチって翌9~11月までの3ヶ月、本当に乗らずに過ごした。
1987年8月 二度目のChampによる帰省。走行距離は20000kmを超えていたが、日向からの数時間も元気に走ってくれた。
1988年3月 初めての自動二輪の愛車、YAMAHA FZ250 PHAZERを12回払いのローンを組んで購入。中古車を扱っているバイク屋さんを十数件探し回って見つけた。Champはそのまま所有し、近所の買い物などに時折利用。
3月 自動二輪中型免許取得。まず直接受験で小型を取り、その後教習所で取得。教習所で中型免許を取得すると8万円(当時)かかるところが、このパターンだと受験料(2300円くらいだったか?)×数回(個人差あり)+限定解除講習料金(確か2万数千円だったか?)で済むと言うことで、こういう形を取った。
3月 免許を取った翌日、帰省。とにかくバイクに乗って走って帰りたかったので、予定も何も立てないどころか、地図も持たないまま出発。初の長距離走行、初の高速、初の雨天の高速…と、我ながら命知らずな行い。高速代をケチって京都で高速を降り、サービスエリアで控えておいた国道の番号だけを頼りに走り続けたが、鳥取で力つき、ビジネスホテル泊。翌日も20時間近くかけて命からがらの帰省となった。
鹿児島から東京へは、さすがにフェリーを利用した。
5月 PHAZER購入後、ムサ美のツーリングのサークルに入部し、初のツーリング参加。
富士五湖などを巡るツーリングで、30台を超える台数のバイクと一緒に走るのは初めてで緊張したが、天気も良くて楽しかった。
8月 川崎から日向へのフェリーによる帰省PHAZERのお陰で、日向~鹿児島間の所要時間が大幅に縮まったのには驚いた。
このときの鹿児島から東京へは、フェリーに乗ることができず、同じくフェリーに乗りそびれたFZR250、FZR250Rに乗る同年代のお二人と高速を走って帰った。
10月 ツーリングのサークルの2度目のツーリング参加。日光のいろは坂や、尾瀬などの観光地を巡る、2泊の旅。このときもすごい台数だった。
仕切っていた人たちは、宿の手配など大変だっただろうと思う。天気はあまり良くなかったが、楽しいツーリングであった。
1989年6月 教育実習のため鹿児島へ。PHAZERを通勤(?)のアシとしても使おうと考えてのこと。
日程がギリギリだったため、安全かつ早いルートを考え、高速で大阪へ向かい、大阪から日向へのフェリーに乗った。
大阪までの高速の滋賀県付近で、覆面パトカーに捕まり、20km/hオーバーの2度目の速度違反。反則金9000円くらいで済んだ。
戻りは日向からのフェリーを利用。
10月 ツーリングサークル3度目のツーリング。山梨県のムサ美の清里寮へ1泊の旅。
清里へ向かう途中に通過した、走り屋の聖地大垂水峠のカーブで、降り始めた雨にアシを取られ、ライダー歴初のバイクがマトモに走らなくなる転倒
近くのバイク屋さんへバイクを運んだ後、同学年のバイクの後ろに載せて貰い、清里寮へ。あの時、一緒だった方々、本当にご迷惑をお掛けしました。
エンジンの側部が破損し、一週間後に取りに行った。
1990年3月 卒業を控え、知人が熱海のホテルの招待券を持っているとのことで、買い換えを決めていたJobimは、『供養』と称し、車で出かける他の人たちとPHAZERで同行。
むちゃくちゃ寒かったが、『供養』なので必死に耐えて走った。
4月 エンジンの不調などの理由でPHAZERを手放し、kawasaki GPZ400Rを購入。30万円を18回のローンで購入。
5月 ライディング・ポジションが不自然で、スポーツ走行っぽい乗り方ができなかったPHAZERからGPZ400Rに乗り換えた嬉しさから、奥多摩湖、多摩湖と湖をハシゴして走りに行ったところ、多摩湖のホテル街のワインディングの緩い左カーブで転倒。何故かフッと気が抜け、曲がりきれなかった。
左側のカウルにマウントしたウインカー、ステップ等が破損したが、自走で帰り着いた。
たまたまプラスチック加工や塗装を手がけるバイト先にいたため、カウルの破損の修繕と塗装のし直しを自分でできたので、ウンカーのレンズ、ステップなど、軽微な出費で事足りた。
いやあ、無茶してはいけませんね。
8月 GPZ400Rでは初めてながら、3度目となるバイクの陸路にての帰省。
時効なので書いてしまうが、最高速180km/hのリミッターが付く前のバイクだったので、何キロ出るか試し、195km/hくらいは出たのを確認。
このときの、22時間がJobimの東京~鹿児島間の最速タイム。
無事帰省を果たしたものの、翌日エンジンはかからなくなり、鹿児島のバイク屋さんで、たまたまそのバイク屋さんにあった事故車のGPX400のエンジンを工賃だけで積み替えて貰った。
1992年6月 学生では無くなったため、用途は通勤が中心となったGPZ400Rだったが、かさむ燃費が辛くなり、燃費の良いツインエンジンかシングルエンジンのバイクへの乗り換えを決意し、HONDA BROS 400へ買い換え。35万円を12回のローンで購入。
8月 BROSでは初の帰省。カウルのないバイクでの高速走行はしんどそうだったので、フェリーで帰省。
戻りは、四国は香川県・高松の叔父の家に寄り、その後は陸走という経路をとった。BROSでは初の長距離走行だったが、やはりツインエンジン、カウルなしという条件での高速走行はしんどく感じた。
1993年8月 BROSにて二度目、バイクでの帰省は通算7回目となる帰省で、FZR250Rに乗ると帰省。一人での帰省はそれなりの良さがあったが、連れが居るのも悪くなかった。
弟としては初めてのバイクでの帰省で、連れが居て心強かったことだろう。
戻りは、高速づたいに、時々バイクを替えっこしたりなどして帰った。
1994年4月 ライダー歴の中で、初めてスペアキーも含めてキーを紛失し、にっちもさっちも行かなくなる。
交番に届いていないか聞いてみたところ、鍵穴を覗いて合い鍵を作ってくれる業者を紹介され、お世話になった。
鍵は一つなくしたら、必ず作っておきましょう。
5月 大学で同期で山形県に帰って行った友人を訪ねて山形県鶴岡市へ。
鹿児島より近いのだし楽勝だと思っていたが、意外と遠く感じた。
東北自動車道から当時建設中だった山形自動車道というルートをとった。
北海道へ行くまで、Jobimの到達した最北端がここであった。
1996年8月 主に通勤やモデルさんの送り迎えに活躍してくれ、悩みの種になるような不具合もなかったBROSだが、4気筒のバイクが恋しくなったのと、ZRX400というバイクの存在を知ってから買い換えを考えるようになり、知人のバイク屋さんでオークションで良好な中古を見つけて貰い、35万円を24回のローンで購入。
BROSは足かけ5年乗ったバイクだったし、良くできたバイクだったので、別れが辛かった。
1997年10月 通勤の帰り道の青梅街道にて、台風の雨と風の影響でガードレールに激突し、メーター類全損
緩い右カーブで強風にあおられ、濡れた路面や路肩の銀杏の葉などのため、ブレーキングは余計に危険と判断し、ガードレールに一番ダメージが少なくなる角度(のつもり)でぶつけて停めようと試みた結果。計算通りだったためか、50km/h近くの速度だったにも関わらず、怪我らしい怪我はなく、バイクの損傷も最小限(本当か?)で済んだ。ZRX400初のクラッシュ。修理費約8万。(泣)
1998年9月 通勤途中、またも青梅街道にて事故。
後方確認を怠ったセダンに乗る初老の男性が、ファミリーレストランに突然入ろうとし、路肩を走っていたJobimのZRX400を巻き込む形で激突。
このときも、50km/h近く出ていた(と思う)が、怪我らしい怪我はなし
相手の男性が無傷の保険だから…と、警察を呼ばずに示談で済ませようとしたにも関わらず、こちらが予想の範囲で提示した金額よりも修理費が高いとゴネはじめ、揉めに揉めたが、「続きは家裁で決着を付けましょう」と言うと、相手は渋々保険会社に電話。7:3(確か)で修理費を出させた。
こういうことにならないように、事故が起きたら警察を呼びましょう!
2002年8月 北海道初のスケッチツーリング
詳しくはこちら
2003年8月 北海道へ二度目のスケッチツーリング
次のupを、気長にお待ち下さい
2011年7月 東日本大震災が起こり、失業していたJobimは、このまま東京でじっとしてはいられない! と、福島県相馬市岩手県大船渡市へ。大船渡市から相馬市への移動中に動かなくなり、気仙沼のバイク屋さんで発電系のトラブルで、修理には7万以上かかると言われ、泣く泣く廃車。これまでで最も長く深い付き合いをしたバイクだったと言える。

以降、バイクの所有歴なし。そろそろまた乗りたい!

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