寒さに震えながら走行していると、やがて夜が明け、住民の方々からすればあまり嬉しくなかったであろう事情で全国的な知名度を得た長万部に差し掛かった。「ああ、ここがあのオシャマンベかあ」と思いながら走っていると、雨もほとんどやんできた。
やがて、ようやく見慣れてきた頭上の「チカチカ下向き矢印」越しに、高速道路の標識が目に入った。
単車を停め、4年前に購入した全国地図(マップル)をチェックすると、建設中とあるが、今はどうやら完成しているようだ。標識には間もなく高速の入り口と書かれている。これに乗って終点まで行くと、旭川に出る。
ルートを見ると海岸線に沿って造られており、とっとと通過したい札幌や旭川へは、随分遠回りな感じだ。最短距離を取りたい僕からすれば、北海道の道路事情を考えると高速道路を通るのがどれほど得策なのか分からなかったが、例えば100kmで走ったとして、一般道で50kmオーバーで天文学的数値の反則金を払うよりは、高速に入ってギリギリセーフか、笑い話になる程度の反則金を払う方が安全だ……と思えた。
この旅は、どこまでもどこまでも安全でなくてはならないのだ。スケッチの一枚も描かないうちにトラブルにあってたまるか。
「よし、高速だ!」と、意を決し、僕は入り口へと突入した。
有珠山P.A.にてカメラ付携帯電話で撮影。
我ながら疲れた顔をしている。この後も夜まで走り続けた。
高速に入って良かったのは、休憩し、一息入れるポイントを見つけやすくなったことだった。そう、S.A.、P.A.の存在である。特にS.A.なら、食事で滋養を補いつつ休憩をとれる。ついでに煙草も喫える。
食事を摂ろうと、とあるS.A.に入った僕は、普段なら滅多に食べないラーメンを食べた。寒かったので温まりたかったのと、とりあえず北海道らしいものを食べられるという、2つの理由からだった。
途中に、目的地の一つである洞爺湖や、最終夜にネットで知り合った知人と会うはずの札幌を通過し、「ああ、ここら辺がそうなんだあ」と、思いながら走行した。
アーミーパンツも脱水機から取り出したぐらいの湿り具合になってきたが、寒さは相変わらず。登別の出口が目に入ったときは、普段は温泉嫌いだと言っているクセに「ここで降りて温泉にでも……」などと考えるほどだった(結局入らなかったけど)。
と、景色もロクに見ずに、出口の標識の地名にばかり感動する僕であった。
某S.A.にて食べた塩ラーメン(500円くらいだったかなあ)。
体は温まったが味の方は……。そもそも僕は、あまりラーメンは好んで食べない。
半分くらいレイアウトの都合だが、単車で高速を走っている時の感じについてリポートしてみよう。
高速に入ると、ライダーが最初に感じるのは、風圧だろう。一般道では出さないスピードで走るわけだから、剥き出しの体に非日常的な風圧を感じる。速度を上げれば上げるほど、風圧は強くなる。当然だ。
ただし、バイクの性能や、交通道徳などの問題で、どこまでも風圧の変化を感じ続けるわけにはいかない。これも当然だ。
視覚的には、速度を上げるほど視野は狭くなると言われているが、これも慣れの問題はあると思う。キャリアや、走行時間によって、速度に視覚が順応してくる部分はある。これを過信しては不味いが、順応するのは事実だ。まあ、その辺は車も同じであろう。
触覚、視覚と来たら、味覚、嗅覚はさておいて聴覚だ。最初は、やはりエンジン音。加速するにつれ、これまた非日常的なうなりを上げる。それに伴って、自分自身も興奮と緊張を禁じ得ないのも事実だ。
ところが、ギアがトップに入り、エンジンの回転が日常的な範囲に来ると、ヘルメットにある微妙な凹凸によって生じる風切り音によって、エンジン音はかき消されてしまう。聴覚は、90km/hを越えたくらいから「びょぉおおぉうぅぅ……」という風切り音に支配されていくのだ。だが、風圧もそうであるように、これもやがては気にならなくなる。
意外に思う人も多いかも知れないが、高速での走行を続け、最も僕が強く感じるのは、ズバリ『静けさ』なのだ。
触覚も視覚も聴覚も、やがて無感覚になっていく高速を単車で走っている時間は、とても静粛な時間なのだ。
ある程度の体に感じる圧力や、ぼんやりと音が聞こえている感じからして、水の中に潜っているときの感覚とも似ているだろうか。
サロマ湖に着くまでにたどったルート。約700km。(溜息)
もっともこれは、ライダーによって、乗っているバイクによって感じ方は違うかも知れないが、僕にとっての高速道路は、スピード感もスリルもない、静謐な空間なのだ(安全運転だし)。
道路の上での単車はやはり少数派。これを読む方の中に、バイクで高速に入ったことのある方は少ないだろう。僕のリポートで、少しくらいはイメージが湧いただろうか。
などと説明しているうちに、旭川に着いた。
高速に入ってから旭川で降りるまでのことを、僕はほとんど覚えていない。景色の変化はおろか、寒かったかどうかさえも良く覚えていないのである。夢うつつ状態で走行していたためだろうか……。(汗)
結局ここまで、視覚的な北海道らしさは、あまり体感できていない僕であった。