便利に毒されし者の北海道おっちょこちょいスケッチ旅行・2002年

キムアネップ岬キャンプ場へ

8月10日・寝るまで

サロマ湖周辺の図。
サロマ湖周辺の図。

夕方頃、ようやくサロマ湖付近に到着した僕は、とりあえず事前に目星をつけていたキャンプ場を探すことにした。
サロマ湖は湖面面積が国内3位という広大な海水湖で、夕陽がきれいと言われているところだ。湖周辺にキャンプ場も沢山ある。僕の第一希望のキャンプ場は、三里浜キャンプ場という場所であり、そこに泊まるとしたらまだまだ先である。
ネットで得た情報によると、雰囲気が良く、僕のスケッチ心をそそられるキャンプ場が他にもあったので、とりあえずその辺りを回ってみる。
僕の回ったルートから一番近かったのは、栄浦第二野営場で、サロマ湖沿いの道路に標識も出ていたが、第一野営場を通りかかると、“第一野営場、第二野営場は閉鎖されました”との看板を発見。げーっ!と思ったが、よく見ると近隣のキャンプ場が、2、3カ所紹介されている。
その中で僕が知っていたキャンプ場は、キムアネップ岬キャンプ場と言うところで、紹介されている画像が、スケッチ心をそそられなかったので、候補から外したところであった。「何もないキャンプ場」と紹介されていたのも、初心者キャンパーの僕には不安だったからでもある。
栄浦から第一候補の三里浜まで行く途中にあるから寄ってみるかと思い、とりあえずキムアネップ岬へ。
サロマ湖に尖った形で飛び出しているのがキムアネップ岬で、栄浦からほど近い。

野生動物との初遭遇

キャンプ場に続く、林の中の細い道を走行していると、路肩に何かピョコピョコと動く茶色い物体を目撃した。
「あ! まさか!!」と思い、近寄ってみると、犬でも猫でも狸でもない、キツネであった。これがキタキツネなのか? 「北海道を舞台にした某TVドラマに出てきたらしい動物」くらいにしか認識がなかった僕だが、仔ギツネであることは何となく分かった。仔ギツネは、人が単車に乗って近づいてきたのに、怯える様子もなく、クリクリした目でこちらを見ている。
「か、可愛い♥」と、僕は素直に思った。
普段は動物嫌いを自称し、知性も何もない動物など可愛いものかと思っていた僕だったが、思いがけない野生動物との遭遇に、すっかり童心に戻っていたのかも知れない。
前出の某TVドラマの舞台は、電気も水道もない原野だったという記憶があったので、こう言うところでキタキツネに遭遇した僕は、超ラッキーなヤツなのでは無いだろうか?
「そうだ、カメラに……」と思い、タンクバッグからデジカメを取り出そうとすると、仔ギツネは林の中に走り去っていった。
「あれま!」と思ったが、時すでに遅し。林の中まで追いかけて行くわけにもいかないので、気持ちを大人に戻してキャンプ場へ向かった。キャンプ場はもうすぐだ。

キムアネップ岬キャンプ場の様子

キャンプ場へ着き、駐車場を抜けてテントサイトを見ると、そこは意外と閑散としていた。
駐車場には十台くらいだったか、オートキャンプに来ているのであろう車が停まっていたが、サイトを見ると小型のテントの脇に単車が停められている。ここは単車の乗り入れは可能なようだ。これは便利だ。
芝地のテントサイトの真ん中を未舗装の道が通っているので、僕はそこをそろそろと走って、様子を見回した。

キャンプリポートのホームページなどに紹介されていたように、数台のバイクが同じ区画内にテントを設営している。そこそこの広さのサイトだったが、すいているためか、皆贅沢にスペースをとっている。
うんと奥の区画にも、ポツンと1台、アメリカンの単車が停められていたが、恐らく孤独を愛するタイプのライダーさんなのだろう。
それ以外の区画には、ボツンポツンと家族用の大きなテントが張られていて、すでに夕食を摂ろうという雰囲気の家族もあった。

入口近くにある管理棟は、最近出来たのか真新しくて立派だった。ここに、5分100円のシャワー室もある。
管理棟からサイトを挟んではす向かいの位置に、トイレがあり、用足しがてらに様子を見ると、まずます綺麗ではあるが、底が見えない汲み取りトイレ(簡易水洗というヤツか?)である。立って用を足す方も、一応水が流せるようになっていて、臭いはひどくない。
料金も無料だし、水場も使うに抵抗のない感じ。なかなかいい感じのキャンプ場だと思えたが、サイトから見回すに、スケッチ心を揺り動かす景色がないのに、少々ガッカリした。

もう一つの楽しみと麻痺

僕が求めていたのは、テントを張った位置からすぐに描きたい場所があり、日中から夕方までスケッチをし、それで終わらなければテントで寝て、起きたらすぐにまたスケッチを……という環境だった。
無茶で勝手な希望だとは思っていたが、三里浜のキャンプ場を第一希望にしたのは、それが可能な気がしていたからだ。
それに、僕のキャンプのもう一つの楽しみは、キャンプ場では大体固まっているというライダーさんたちに混ざって、夜に盛大な宴会を(常識的な時間帯で)繰り広げることでもあったのだ。
単車が数台で、まばらにテントがある今の雰囲気では、日没後に宴会が始まるとはとても思えなかった。
「とりあえず、ここも候補としておこう」と思った僕は、第一希望の三里浜キャンプ場へ向かうことにした。

ルートチェックをし、三里浜キャンプ場が近い地名を探す。まずは湧別町を目指す。
国道238号線をガンガン進むと、間もなく補助標識が目に入る。湧別まで50km弱だ。
「なあんだ、意外と近いじゃないか」僕はそう思ったが、一般道ならどれだけ順調でも小一時間はかかる距離だ。二日間で1500kmにも及ぶ距離を走ってきた僕は、すっかり距離感が麻痺してしまっていたのだ。
すっかり日没が近づいていたし、霧雨が降り始めたが、気持ちが焦っていたため、三里浜へ向かうことしか考えていなかった。

三里浜キャンプ場への迷走

すっかり日も落ち19:00を過ぎた頃、僕は出発時から目指していた三里浜キャンプ場へ到着した。
景観が素晴らしく、設備の整ったキャンプ場で、「賑わう時期は早めに受付を済まさないと、断られる事もある」と電話で聞いていたのだが、キムアネップのキャンプ場よりも閑散としているのは、暗がりの中でも充分によく分かった。せめて、明るい時間に到着していれば、景観ももう少しチェックできたのだが……。
「ううむ……、これではさっきのキャンプ場の方がまだマシだったか……」と思っていると、管理棟の方から管理員さんらしきおじさんが近寄ってきたので、「ちょっと様子だけ見せて貰っても構いませんか?」と聞くと、「もしテントを張るなら、一番奥がバイク用だけど、今日は空いてるからフリーサイトならどこに張ってもいいよ。奥にも一台だけバイクが来てるけどね」との返事。対応は親切だ。
「そうでしたか。今日はともかく、また別の日に来るかも知れませんので、ちょっと拝見します」と僕は言い、バイク用のサイトの様子を見に、バイクに乗ったまま向かった。オートキャンプ向けのキャンプ場なので、奥の方まで舗装した道路が続いているのだ。
バイク用のサイトは、オートキャンプ用のサイトやフリーサイトに比べて非常に狭く、砂地のサイトであることも手伝って、団地の一角にある日曜農園を思わせた。
おじさんの言っていたとおり、一台だけバイクが止まっていて、テントもすでに張られていたが、人がいるのかどうかはよく分からなかった。

想像とあまりにも違う状況に呆然としながらも、僕はもう一つ問題点に気がついた。
砂地のサイトには、テントを張るときのペグ(地面に差し、テントを固定するための杭のような物)が効かないのだ。
対処として、コンビニエンス・ストアで買った物を入れてくれる袋の取っ手にテントのペグを引っかける部分に結びつけ、袋に砂を詰めた状態で埋めて固定するのだが、その時の僕の持ち合わせでは、コンビニ袋の枚数が足りなかったのだ。
「結局、今日ここに泊まるのは無理だったんじゃないか」と、思うとドッと疲れが出てきたが、そうと分かれば長居は無用。管理のおじさんに「またにします。その時は宜しく」と伝え、「天気が良ければ、もっと違う印象だったのだろうけど……」と思いながら、たった今来た道を逆戻りした。

調達

疲労もピークにさしかかり、さすがに途中で食事でも摂りたい所だったが、この日の僕には、簡単な物でも自分で食事を用意しなくてはならない事情があった。
というのは、実家から母がお中元だと言って送ってきてくれていたレトルトパウチの焼き豚を持ってきていたからなのである。
鞄の中で、凍らせたペットボトルの飲み物の傍に詰めて置いたとはいえ、猛暑の高速を丸一日走って来たのだから、腐っていないかどうかが心配だったのだ。折角持ってきたのだから、腐らせたくはない。
湧別からキムアネップ岬の半分くらいまで来たところだったか、スーパーを見つけた僕は、キュウリ2本とトマト2個がパックになったものと、粉末のポタージュスープ5袋入りと、小豆が混ぜ込んであるパン(食パンやロールパンなどの主食的なパンは売り切れていた)と、マヨネーズを購入した。
バーボンなどの僕が好んで飲むお酒に、適当なサイズのボトルがなかったので、滅多に飲まない日本酒(辛口、300ccくらい)も購入しておいた。宴会は期待していたが、深酒するつもりは毛頭なく、体が温まる程度の分が欲しかったのだ。

初のテントでの食事

またも小一時間かけてキムアネップ岬キャンプ場へ戻って来たが、霧雨は降り続いていた。
時計を見ると、21時になろうとしていた。暗がりの中で見ても分かるほど、愛車の泥ハネがひどい。
僕は、ひっそりとした場内に、極力静かに単車で乗り入れ、単車が集まっている区画の通路沿いに場所を確保することにした。もう奥の方へ荷物を運んだりする気力も無かったのだ。
まず積み荷から、荷物の雨よけに使っていた防水シートを外して芝の上に敷き、その上に積み荷を全て降ろした。
テントを張るまでの間は、荷物は霧雨にさらされる事になるので、手早く設営を済ませたかったが、自分のテントとはいえ、実に三年ぶりとなる暗闇の中での設営に非常に手こずった。
作業をしながら見回すと、霧雨のためか、宴会をしているライダーも居なかった。
このひっそりした雰囲気で、ハンマーを取り出してペグをカンカン打ち込むのは不味かろうと思った僕は、ブーツのかかとでペグを押し込むという力業で、フライ(画像参照)とテント後部だけペグで固定した。自分が寝ている間くらいは、ペグの固定は特別必要ないだろう。

フライ、前室の図解。
フライ、前室の図解。フライのお陰で、防水、防寒に備えられる。

荷物をテントの中に放り込むと、僕もテントに潜り込み、まずは濡れたレインウエアを脱ぎ、テントの隅に放り投げ、丸めてあるアルミ箔を貼ったロールマットを広げて腰を据えた。
そして、手探りでタンクバッグからランタンとしても使える懐中電灯を取り出し、食事の準備に取りかった。
充分な明かりをとるために、まずはガス・ランタンを組み立てようとしたが、長距離に渡る走行中の震動のため、マントル(電球ならフィラメントに当たる部分。一旦燃やして、灰同然になった状態にしないと輝度が得られない。当然非常にもろい)が粉々になっていた。
「どえ~、こんな事初めてだよお」と、度重なる不測の事態にウンザリしながら、予備のマントルを探し出し、装着した(取り付けにくいんだ、コレが……)。
ランタンの準備が整い、テントの前室(テント本体の入口側ととフライの間に出来る空間をこう呼ぶ。画像を参照)に置き、明かりをともすと、少しだけホッとすることが出来た。

テントの前室での食事。
テントの前室での食事。右がガス・ランタン、真ん中辺が食べ物、左がガス・ストーブ。キャンプ用(?)のコンロをストーブと呼ぶ。ランタンもストーブも、僕のはガスボンベにセットして使うタイプだが、白ガソリンを使うものもあり、そちらの方が明るくて火力も強いそうだ。僕のテントの前室は、そこそこのスペースがあるので、雨天でも中でお湯を沸かすくらいは出来る。

ガス・ストーブを組み立て、クッカーを取り出し、野菜も持って水場へ向かい、野菜を洗い、水を汲み……と、早く食事を済ませたい一心で、テキパキと行動した。

食事の準備が整うと、ビクトリノックス(十徳ナイフ)で、焼き豚を開封し、少しだけ切り取って慎重に味わってみる。イメージしていたよりは、酸味が強めでスリリングな味と言えたが、異臭を放ったりはしていない。
「なあに、肉は腐りかけが一番旨いのだ(注:それは調理前の生肉の場合)」と思い、焼き豚を大胆な厚さに切り取って食べた。
トマトもキュウリも、マヨネーズをつけて丸かじりにした。
いやあ、野趣溢れる食事だ。如何にもキャンプっぽい。
キャンプの食事の気分を満喫できて、沈んでいた気分も随分と回復してきた。夜空を仰いでの食事というわけにはいかなかったが、それでも充分だと思えた。

焼き豚が半分に減った所を目安に食事を終え、気分の回復と休養を得た僕は、管理棟へ向かった。
デジカメとして使ったり、折に触れてメールを打ったりしていたため、携帯電話の電池が切れかかっていたので、お金を払ってでも充電できないものかと様子を見に行ったのだ。

入口近くの管理員室に人は居なかったが、奥の休憩所は明々と照明がついていて、3カ所にコンセントの差込口がある。すでに、学生さんかと思われる2、3人の男女が、すでに携帯電話の充電をしに来ていて、一カ所だけが空いていた。
こちらとしては、来たメールには返事を書いて無事を知らせなくてはならないから、千円払ったにしても充電する必要がある。休憩所に貼り出してある禁止事項にも書かれていないし、共犯も居るなら、安心して充電出来るというもの。
僕は、テントに戻って充電器と携帯電話と、煙草と携帯用灰皿と、日本酒とマグカップの2点3セットと、折り畳み椅子を携えて、管理棟に戻り、充電を開始した。

管理等での交流

折り畳み椅子に腰掛けて日本酒をすすりながらメールの返事を書いていると、共犯の学生さん(男女)たちの会話が聞こえてきた。
「(充電しながらの通話を終え)あいつら(恐らく地元の学友)、今飲んでるんやて。オレも飲みたいわあ。なあお前、買って来てんか?」
「え~、どこまで行け言うねん」
「そうでないとオレ、禁断症状でるわ」(注:これらの方言は適当です)
それを聞いて、僕は足下に置いていた日本酒の小瓶に目を落とした。もう3割くらいしか残っていないが、彼を禁断症状から救えるかも知れない(禁断症状は冗談だろうけど)。そうでなくても、酒好きは人種、性別を問わず、僕の仲間だ。自分が持っているなら、欲しいという人に分けてあげるのは当然だ。
僕は椅子から立ち上がり、「日本酒が嫌いじゃなかったら、飲みませんか? 僕の分はもうカップに注いでありますから、全部飲んでいいですよ。少ししか残ってませんけど……」と、話しかけた。
「禁断症状」の学生さんは、意外そうな顔をして、こちらを見たが、「え、いいんですか? じゃあ、折角ですから頂きます」と、瓶を受け取ってくれた。

2、3口飲んだ後、「お前も飲むか?」と、彼は彼女に薦めた。カップルでは無いようだが、良い女友達なのだろう。
抵抗無く瓶を受け取り、一口程度飲んだその子は「飲みやすくて美味しいですね。東北で買ってきたんですか?」と、僕に聞く。この子もイケる口なのだろうか。
「あ、いや、近くのスーパーで買ったんです。瓶の大きさで選んだんです。バーボンとかが無かったんでね。辛口って書いてあったし……でも、何故東北と?」
「だって、瓶に○○○(名称は失念。東北の地名が名称に含まれていた)って、書いてあるから……」
「ああ、なるほど……(汗)」
本当に量と「辛口」というだけで選んだので、産地も名前も全く気にしていなかったのであった。

それを皮切りに、僕らはしばらく話をした。

彼らは京都大学の自転車同好会(だったか?)の面々で、フェリーで北海道に上陸したのち、大勢で編隊を組み、自転車で旅行しているそうで、今日は70kmほど走破してきたらしい。
「自転車で70kmは大変そうですねえ。単車と比較するものでもないでしょうけど僕は昨日700km、今日も700km以上走ってしまいましたよ」
「へえぇ、700kmですかあ!」
「僕は美大出でしてね。こっちへツーリングをかねてスケッチ旅行に来ているんですよ」
「ほおお、いいですねえ!」
……と、学生さんたちは、お酒を振る舞われた分もあってか、僕の話に上等なリアクションをしてくれた。
お互いにこれまでの経過や、平素の事などを話したりしているうちに、先に始めていた学生さんたちの充電が終わり、挨拶をしてテントへと戻っていった。体育会系の同好会だからか、立派な大学の学生さんだからか、礼儀正しくて感じの良い人たちだった。
その後、とりあえず無事を知らせるメールを各所に打ちつつ、充電を終えた。
今度は自分の充電をしなくては……。そう思い、寝袋に潜り込んだ。
フェリーで一緒だった方たちは、どこへ向かわれたのだろうか……などと考えているうちに、僕は深い深い眠りについた。
最後に送ったメールの送信時間から察するに、午前1時半を回っていたようだ。

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