便利に毒されし者の北海道おっちょこちょいスケッチ旅行・2002年

溜息の洞爺湖、そして札幌へ

8月16日・昼・闇雲に走る

実線が洞爺湖までに通ったルート。緑線は道道。
実線が洞爺湖までに通ったルート。緑線は道道。

やがて、今まで通ってきた国道274号線と234号線が交差する付近にやってきた僕は、この先のルートを確定するために、改めて地図を開いた。
ここから先、国道づたいに洞爺湖へ行こうとすると、どうにも遠回りを強いられそうだ。かといって、下手に道道や抜け道をルートに選ぶと、道を間違えたり、通り過ぎたりするなど、これまでの経験上むしろ逆効果だったりすることが多い。そもそも僕の持っているのは全国地図で、道道の名前までは記載されていない。とても危険だ。
「北海道の国道だし、少々遠回りをしても道がはっきり分かる国道を選ぶべし!」
そう決めた僕は、とりあえず234号線で南へ下ることにした。234号線から先は、何本かの国道を経由しないと洞爺湖へたどり着けない。道を覚えるのが苦手な僕は、道の名前の順序を覚えることも苦手なので、次に行くのが235号線……とだけ覚えて、その都度次の道をチェックするという作戦をとった(作戦と言うほどのものか)。 235号線から36号線、そして道道を経て453号線へ入り、洞爺湖へ着くまでは、誰と話をすることもなく、単車を降りて景色を楽しんだりするようなこともないまま、僕はただただ走り続けた。

ウトナイ湖がこっちとか、千歳空港があっちだなど、気になる場所や聞いたことのある地名が書かれた補助標識も目に入ったが、「へー、そーなんだあ~」と思う程度で、素通りに徹していた。
寄り道らしい寄り道をしたのは一カ所だけ。36号から道道へ入った頃に、チェーンのきしむ音が気になったので、どうしたものかと思っていたら、単車の中古車の販売や修理をする店が見つかったので、チェーンオイルを購入したくらいであった。道道は山の中を通っている印象であって、そんなところにそんなお店があるというのは、ラッキーであり、驚きでもあったが、この後もかさばらない小型の缶のスプレーが売られていたのもラッキーだった。
6月に車検を終えて二ヶ月しか経たないのに、チェーンが軋むとは……と思ったが、海沿いを走ることが多かったし、雨にもよく降られたのだから、無理もないのだろう。
車載工具以外にも、注油するものなどは、やはり携行するべきだったなあと反省した。

その後も、計画段階では候補にあった支笏湖をも素通りし、僕はまっしぐらに洞爺湖を目指した。支笏湖の脇を通る国道や道道から支笏湖の湖面が少しでも見え、スケッチ心をくすぐられるようであれば別だったが、僕の通った限りでは湖面は全く見られなかった。

禁じ得ぬ絶句

洞爺湖に注ぐ川(?)。
洞爺湖に注ぐ川(?)。緑色がキレイだなあと思ったので、描こうかと思ったのだが……。

チェーンの軋み音もなくなり、快適に走っていた僕は、いよいよ洞爺湖の周辺を走っている道道へとさしかかった。
湖の周辺を走っていても、なかなか湖面は見えないが、しばらく行くと湖のほとりへ向かえそうな細い道への分岐が見られた。事前の情報収集では見られなかった名前ではあったが、キャンプ場があるようだ。僕は迷わず緩い坂道を降りてみた。
すると、そこに広がっていたのは、人でごった返すありふれた観光地の風景。チラリと見ただけでも、この周辺に僕の求める水辺の風景があるとは思えなかった。
長時間走ってきた僕は、缶入りの冷たいお茶と煙草で休憩を取ったのち、さっさとそこを去った。

諦めずに湖の周辺を単車で走っていると、「おっ!」と思うところに差し掛かった。
洞爺湖に注ぐ川なのか、僕の持っている地図では何とも判断が付かなかったが、渡ってきた橋から見える、湖面から透けて見える川底の緑が凄く綺麗だったのだ。
僕は、往来の邪魔にならないところに単車を停めて、暫く様子を伺ってみた。すると、「グオーン……」という耳障りな音が川の上流らしき方向から……。

見ると、大型のモーターボートに乗った2、3人のアンちゃんたちが、薄ら笑いを浮かべて気持ちよさそうに向かってくるではないか。2、3人女の子を乗せているのが、これまたムカつく。
ボートは、美しい緑色を湛えた湖面に大きな波を作り、走り去っていった。
「とほほほ……」僕は深い深い溜息をついた。あんなのがちょくちょく来るようでは、スケッチどころではない。

水辺全てを回るほどの時間はなさそうだし、こうも観光地化が進んでいるのでは、僕が理想とする景観は簡単に見つけられなさそうだし、折角見つかった場所にも思わぬ邪魔が入りそうなのでは、制作意欲を維持する気力が奪われる。
「……諦めるかあ……」と、僕はしぶしぶ結論を出し、再び単車を走らせた。
最終的なスケッチの目的地として目指してきた洞爺湖であったが、随分と予想とかけ離れたその様子に、用のないところとなってしまった。

キャンプ場考

さて、僕はこれまで、施設を整えて便利にし、お客さんを積極的に呼ぼうとしているキャンプ場に対し、「観光に魂を売り払ったキャンプ場」などと、批判的ともとられそうな表現を使って感想を書いてきた。
だがそれは、僕がスケッチ旅行をする上で、僕にとっては望ましくないという、至って主観的な感想を述べてきたのであり、便利なキャンプを邪道だと思っているのでもなければ、キャンプ場を便利にするなと思っているわけでもないし、観光地に憎しみを抱いているわけでもない。
ただこれは、スケッチ旅行記。ヤクザなスケッチ野郎が、自分の描きたい場所を探しながら水彩画を描こうとする様を描いたものであって、「ここはダメだ」とか「いい所じゃない」みたいな表記があったとしても、それは「行く価値のない場所」という意味ではなく、個人的な制作意図にそぐわない場所という意味で書いたものだとご理解いただきたい。
万人が万人なりの目的に適ったキャンプ場を選択し、目的なりの楽しみ方をするのが良いのであって、それを他人からとやかく言えるものではないことは分かっているつもりだし、僕自身がこの旅の中で「不便」なキャンプもしたし、「便利」なキャンプも体験してきて、どちらもが価値のあるものだったと思っている。

「ムカつく」などと書いてしまったモーターボートの彼らにしても、何かしらの許可を得て乗り回しているのだろうし、こういう場所へでも来ないことには、他に乗る場所もないという事情もあるだろうから、ヤクザなスケッチ野郎から「スケッチの邪魔をする傍若無人な馬鹿者ども」呼ばわりされる筋合いはないはずだ。スケッチの邪魔だからボートを乗り回すなと僕が言ったとしたら、それこそ傍若無人というものだ。
繰り返すようだが、場所やキャンパーのあり方の批判が執筆の意図ではなく、人の手の入っていない自然や、澄んだ水を湛えた湖や川を描こうと思ってわざわざ北海道まで来たから、人様の行き来も多い、観光地へと姿を変えた自然を絵に描く対象として選びませんでした……と、その程度のことを書いているつもりであって、スケッチ旅行記たるこの文章を通して、すれ違ってきた対象に対して、世相や商売や個人を批判をしようとしているのではないということをお含み置き頂きたいと思う。
読んでいて、この釈明を読むまで、不快に思われた方がいたら、ここでお詫び申し上げます。

それにしても、出発前の漠然としたイメージでは、ヒラリと北海道へ渡り、ヒラリとサロマ湖へ行き、たっぷりと時間をとってサロマ湖のスケッチを終えたら、ヒラリと洞爺湖へ戻って来て、2、3泊……なんて考えていたのだが、予想外の悪天候なども含めて無茶な計画だったようだ……と、洞爺湖に背を向けて走り出した僕は、反省を含めてそう思った。
いずれにせよ、洞爺湖を諦めた今となっては、『スケッチ旅行記』たるこの文章は幕を閉じることになる。 でも、書き残したいことは、まだまだある。ここから先は純粋に『ツーリング旅行記』としてお付き合い願いたい。

試みた観光

オコタンペ湖の様子。
オコタンペ湖の様子。僕の知る限り、ここからしか様子を見られなかった。

……などと、色んな事を考えながら、僕は支笏湖から洞爺湖まで来た道を逆戻りしようとしていた。
スケッチを諦めた分、およそ2~3時間の時間の余裕が出来たことになるのに気づいた僕は、ちょっとだけ観光でもしてみようか……という気になっていた。
支笏湖を過ぎてちょっと行ったところに、北海道の三大秘湖と呼ばれるオコタンペ湖がある……と、三里浜のキャンプ場で知り合った家族連れのお父さんから聞き、地図に印を付けていたのだ。
単車を停めて改めて地図を確認すると、今走っている453号線から道道へ入った先にオコタンペ湖はあり、オコタンペ湖を過ぎてしばらく行くと、再び453号線に乗ることができ、そのまま走っていけば札幌へ到着することができる。無駄なく観光をするにはちょうど良いスポットだと思えた。

3大秘湖……なんて呼ばれるような観光スポットのどこが湖なのやら……という気がしたが、スケッチするほどの時間はないにしても、次回のスケッチ旅行の目的地となりうるかも知れない。
因みに、3大秘湖のことは、前述のお父さんから他の2つが、東雲(しののめ)湖と、チミケップ湖と教わったが、後日ネットで調べてみると、その他にオンネトー、豊似(とよに)湖と、3大秘湖と呼ばれる湖は、5つあり、その中から選ばれる……とかいう記述を見つけた。なーんだか、難しい話だ。事情は改めて探ってみよう。
とにかく僕は、オコタンペ湖を目指して走り始めた。バイクを走らせながら「オコタンペコ、オコタンペコ、オコタンペコ……」と繰り返していると、何だか吹き出しそうになった。

再び諦めたスケッチ

補助標識などを頼りに走っていると、この林の向こうが湖なのかしら……という雰囲気になってきた。
しばらく進むと、看板が立っていて、車も何台か停まっている視界が開けそうな場所が見えたので、単車を停めて僕もそこへ。十数人くらいの人だかりができている。
僕も、人だかりの後ろの方から視界の開けている方を望むと、遥か遠くの方へ湖面が見えた

なるほど、これがそうか。それにしても……水がどれくらい綺麗なのかとか、水辺がどうなっているのかは、この位置からはどうにも見定められない。何やらオコタンペ湖に関しての説明が書かれた看板があったが、水辺へ降りられるかどうかは一切分からなかった。
とりあえず写真を1枚だけ撮り、他に湖を観察できるところがないかを探してみたのだが、結局湖の傍を通れる道路も湖の外周の一部分だけのようであり、水辺に立つことはできそうになかった。
そんな探索の途中、道路の脇に立て札があるのに気づいて、単車を停めて改めてみると、「湖の環境を守るために湖畔に近づくことは禁じられている」といった内容のことが書かれていた。
人の立ち入ることを禁じられた湖……だから秘湖ということなのだろうか。そういわれれば何となく秘湖と呼ばれるのもしっくりくる。ともあれ、そういう決まりがあるのなら、素直に従いましょうかね。

自然と人間との関わりを再考

オコタンペ湖を離れることにした僕は、札幌へ向かった。僕に行く場所は、もう他には無さそうだった。
国道453号線を北上しながら、僕はオコタンペ湖での見聞を元に、少し考えてみた。

「人間が近寄ると、本来の自然は損なわれていく。だから人が立ち寄るのを、条例や何かで禁止しなくては、自然を守ることはできない」
それが、オコタンペ湖の傍の国道にあった立て札に書かれていた事なのであって、それは言い方を変えると、人間という存在そのものが自然破壊に直接的に繋がっていくと言えることになる。
所詮、人間と自然との共存などというのは幻想なのだろうか?
でも、『ああ、自然が破壊されているなあ』と思うのは人間であり、人が立ち寄らなければ自然が保護されると言うのも、人間が考えることである。『文明』や『便利』を追い求めて野山を切り拓いて都市や道路を造ってきた人間たちが、今更になって『自然を保護するのだ』と言って、自然への人間の出入りを禁じているわけである。
どうせこれまでもそうしてきたのだから、今後もバンバン自然を切り拓くべし! などとは、勿論思わないが、何とも人間とは辻褄の合わないことをして繁栄してきているのだなあ……と、人間として自然界に含まれながら生きていくことに、どこか複雑な心境になった。
まあ、出来事を順不同に並べて考えるとどこか滑稽なだけで、人間が破壊してきた自然へ対しての畏敬や反省の念が込められて立てられたのが、あの立て札なのであり、それは自然に対する人間の一歩進んだ関わり方と言えるのだということも分かってはいるのだが。
……などと、何日かぶりにせっかく観光を試みた僕であったが、普通に観光すればよいものを、どこか理屈っぽくまとめてしまった次第である。

間に合わせの食事

一応、このあとの、札幌へ着くまでの食事のことも付記しておこう。
札幌へ着く前に、お腹の空いた僕は、国道沿いの回転寿司の店へ入った。稚内のウニ丼以来、海産物を食べていなかった僕は、お手軽に海産物を頂こうと思ったのである。回転寿司とはいえ、北海道にある店であれば、何かしら期待できるのではないだろうかという、曖昧な期待もあったと思う。
が! 入店し、席に着いた僕は、ちょっとガッカリした。競馬場のような形をしたお皿が回るレーンの中にある厨房に「シャリ整形マシーン」を発見してしまったのである。
要するに、この回転寿司屋は、板さんが手で握って作る寿司ではなく、機械からポコポコ出てくるシャリに、アルバイトのお兄ちゃんがネタを乗っけて、申し訳程度にキュッと握って作るタイプのお店だったのである。
「回転寿司なのだから過剰な期待は無用」と割り切ることが出来なくはないが、店によっては同じ値段でも、キャリアのありそうな板さんが見事な手つきで握っている所もあるから、「シャリ整形マシーン」を使う店にはあまり入りたくない。気持ちの問題かも知れないが、前者が美味くて、後者はイマイチという実感はある。
せめてネタがよければ……と思ったが、これくらいなら東京の方がもっと美味しいのが……と思えるレベルであった。
旅行記のことを考えると、食事の光景や料理は、ことごとく写真に収めたかったのだが、お客さんはそこそこ入っていたので、撮影は控えた。
湧別では、KFCで写真を撮ったが、人目に付きにくい席にいたから撮る気になったわけであって、この程度の寿司を有り難そうに写真を撮ったりしたら、余程の酔狂と思われてしまうだろう。そんなわけで、写真はありません。
僕は、お腹が落ち着く程度にお皿を重ね、早々に店から引き上げた。
書く必要があったのか? という感じの食事を終えた僕は、「その土地らしくて、美味しいものには、無作為な探索だけでは、なかなか簡単には巡り会えないものなのだなあ」と思った。やはり多少の下調べは必要なんでしょうねえ。

ようやく札幌へ

食事を終えた後、引き続き僕は453号線を北上しつづけた。
景観も、徐々に都市っぽく変わっていき、例によって見慣れた全国チェーンの店が目に付くようになり、日常に戻ったという感覚が強くなってくる。
補助標識に、真駒内とかの聞き覚えのある文字が書かれている。どうやら、ようやく札幌へ来たらしい。○○区とか書かれていることからも、それに間違いないことが分かる。
札幌も、高速を走っているときに、一度は通過してきたのだが、やはりこうして辿り着いてみないと来た感じがしない。
しばらく市街地を走ってみたが、思っていた以上に大きな都市だ。道幅も広くて、街並みも綺麗だ。
僕は、今夜会うはずの知人のRさん(男性)と連絡を取るべく、単車を停めてゆっくり出来るところを探した。あちらがどんな状況だか分からないので、メールを中心とした連絡を取ろうと思っていたためだ。

札幌市内の大通公園。
札幌市内の大通公園。なにやらお祭りがある様子だった。
しばらく走っていると、「大通り公園はこっち」という標識が見えた。大通り公園という名前は、北海道の地理に疎い僕でも聞いたことがある所だったので、そこで連絡を取ることにした。
それにしても、今回の僕の旅は、補助標識だのみである。やはり少しは地図による予習があってしかるべきだなあと、今更ながら思った。
公園沿いの道路に単車を停めた僕は、貴重品の入ったタンクバッグ以外の荷物を単車に残したまま、公園内に入った。
無精ヒゲが伸び、半端に日焼けし、薄汚れた服を着て、ヘルメットでも持っていなければホームレスかと思われそうな格好で、しばらく公園内を歩いてみた。
この日の大通り公園は、何か祭りがある日だったようで、提灯が飾られていたり、出店が出ていたり、ステージが組まれて設営が進んでいたりと、お祭り独特の賑やかな雰囲気になっていた。公園からそれほど遠くないところに電波塔も見え、ああ、本当に札幌に来たんだなあと言う気がした。
僕は適当なベンチを見つけ、《入札(?)しました。これから宿などを探します。宿が見つかったら連絡します。どこか良い宿をご存知無いですか?》などとRさんにメールを打った。すると間もなく、Rさんの方も《お早い入札で》という件名で返事をくれた。「入札」というのは僕に調子を合わせてくれているのだろう。

あるチャットルームで知り合ったRさんは、チャットによる文字のコミュニケーションを通しても、実直そうで真面目でありつつ機知にも富み、そしてまた気遣いに長けた人である。だからこそ、こうして僕も会う気になっていたのだし、彼も僕と会おうとしてくれているのだ。

ネットで、チャットなどを通して知り合った人は沢山いるが、実際に会おうという気になる人はなかなかいない。男性ならなおのことだが、Rさんとは同じ年で、話もよく合ったので、少なくとも僕は機会があれば生身で話をしてみたいと思っていたし、同じように彼もそう思っていてくれたのだと思う。まあ、「近くまで行くから会ってくれ」と我が儘を言ったのは僕なのではあるが。

そんなRさんと、2往復分くらいのメールのやり取りをしたのち、僕は宿を探すべく、公園を出た。
ご当地の彼も、ご当地だからこそビジネスホテルなどの情報は持ち合わせが無かったので、土地勘も何もないまま、僕はなるべく安く泊まれそうな所を探し回ったが、安そうな所はライダーで埋まっていて、予算と見合うところを探すのに苦労した。
無事宿を見つけた僕は、シャワーを浴びたのち、Rさんに、今度は電話をして、待ち合わせの場所を「キリンのビール園」と決め、20時に会おうと言うことにした。

不思議な感覚の出会い

お出かけの準備を済ませた僕は、20時の10分前にホテルを出て、タクシーを拾い、運転手さんに「キリンのビール園までお願いします」と、伝えた。僕のとったホテルから近いところをRさんが選んでくれたのだが、札幌にはビール会社が経営する「ビール園」と名が付くところが、他に2つあるのだそうだ。
タクシーが待ち合わせ場所に近づいた。事前に知らせあっていた、今日の服装を目印に、僕は車内からRさんを探した。
「あ、あの人だ!」
視力の良い僕は、すぐにRさんを見つけることが出来た。想像していたよりも長身だったが、文字のやり取りで感じていたとおりの印象の男性だった。
タクシーから降りると、すぐに近寄り、
「Rさんですね? Jobim(本当は、これとは別なハンドルネーム)です」と、迷わず声をかけた。
「ああ、どうも、Jobimさん! お待ちしてましたよ」と、呼びかけた相手は果たしてRさんであった。
「いやあ、お目にかかれて良かったです。ええっと、生身では『初めまして』ですね」……などと、僕らは暫し挨拶を交わしあった。
顔を付き合わせずに会話をするのが、ネットにおけるチャットルームなわけであって、それが普通になっている僕らが肉声で会話をするというのは、何だかとても不思議な気分であった。
チャットでの会話が普通になっている人間関係においては、肉声で、生身で交流を持つとなると、何とも無防備なような、照れ臭いような感じがある。何度かオフ会なども経験した僕だが、この時もやはり同じような感覚はあった。おそらくRさんもそうだったのだと思う。

ジンギスカンを交えて

モジモジと照れくさがっていても仕方がないので、さっそく僕らは食事を摂ることにした。ビール園は、とりあえず待ち合わせ場所だったのだが、東京では滅多に食べられないジンギスカンに関心があった僕は、「ここでいいですよ」と要望混じりに提案した。剣淵のキャンプ場でもレトルトパウチのジンギスカンは既に食べたが、あれが本来の味わいとは思えなかったので、ちゃんとしたのを食べてみたかったのである。
地元の彼からしてみれば、ジンギスカンはあまり有り難いものではないとの事だったが、「関東の人には珍しいでしょうし、僕も久しぶりですから」と、同意してくれたので、さっそくビール園の建物の中へ向かった。何だか気を遣わせてしまったみたいであった。

席に通されると、僕らは90分食べ放題・飲み放題コースを選び、とりあえずはビールで乾杯した。店内はとても良く賑わっている。
テーブルの中央には、中華鍋をひっくり返したような感じの鉄板が据えられていた。変わった形の鉄板だ。
Rさんによると、「てっぺんの辺りで肉を焼いて、縁の当たりに野菜を置くんです。流れ出る肉汁を、野菜が吸い込んで、味付けにもなるんですよ。それくらい羊の肉は油が多いですから、エプロンはつけて、荷物にもシートをかけた方が良いですよ」とのこと。脂っこいとは聞いていたが、想像以上のようだ。
Rさんは、「本当に、こっちに来るって聞いて、楽しみにしていましたよ。HP(Jobimの)も見せて貰っていたので、僕の中では本名で呼んでいたくらいですよ」などと、会話を交わしながらもせっせと肉を焼いてくれた。本当に僕をもてなそうとしてくれているのがよく分かる。

「アハハ。どっちでも構いませんよ。それにしても……Rさんと会ってみても改めて実感しますが、北海道の人たちは、本当に皆さん親切ですね」
「ああ、時々そういうふうに言うのを聞きますけど、それは道産子だからというこでは無いと思うんですよ。地元の人間なら、客人はもてなそうとするのは、どこでもそうだと思いませんか?」
なるほど。僕はもの凄く納得した。
「確かに、東京は冷たい街だ……なんて聞きますが、『下町の人情』なんていうのも良く聞きますね。たしかに東京も、冷たい人たちばかりじゃないですからね」
「そう、ずっとその土地に住んでいる人間が、余所から来た人に冷たいということの方が少ないんじゃないかと思うんです」
「そうですね。要するに東京みたいなところは、僕を始めとして地方人の集まりだから、近所づきあいなどもやりづらいのかも知れませんね。地方から東京に出てきて、土地勘も無いのに道を聞かれても教えてあげられない。意外にそんな人が多いから、東京は冷たいとか言われるのかも知れませんね。僕も経験が無くもないし」
「そんなところでしょう。あとは県民性じゃなくて個人差だと思います」
「いやあ、勉強になりましたよ。アハハハ」
「あはははは」
……などと、会話も弾み、箸も進んだ。

健全にススキノへ

初めての本格的なジンギスカンは、確かに跳ね飛ぶ脂の多さには驚いたが、強いと聞いていたクセもあまり感じられず、とても美味しく頂けた。Rさんと会うことが出来て、楽しく話せていた分、余計に美味しく感じられたと言うこともあっただろう。
Rさんは、会話の間にも、休むことなくせっせと肉を焼いてくれ、北海道へ来て以来、少々小さくなっていた胃袋を最大限に押し広げてそれに応えた。
「地元の人間だから親切」説にも充分納得だが、Rさんを代表に、北海道の人はやはり親切だよなあ、と僕は改めて思った。
ビールのジョッキも3杯ほど空く頃になると、最初に感じていたモジモジ感もすっかり消し飛び、僕らは旧来からの知人同士のように、腹を割って語り合えるようになった。
そんなふうにして、楽しい90分は料理の写真を撮るのも忘れるほど、瞬く間に過ぎた。

その後も、お互いの平素のことを含め、チャットルームでもなかなか話せないような事なども語り合いながら、2件ほど店を回った。Rさんもイケる口で、チャットルームでも「一度会って飲みたいですね」などと話していたのだ。
夜の札幌というとススキノ……であり、僕もRさんとその付近を歩いたが、入ったのは飲み屋さんであったことは明言しておこう。
何というか……上から、風俗店、普通の飲み屋、風俗店、風俗店……みたいな感じで、大きな看板がビルの壁面を飾っているのには驚いた。恐るべし、ススキノ……。

3件目を出たときは、そろそろ明るくなろうかという時間だったような気がするが、それくらい楽しい札幌の夜であった。