三大秘湖を目指せ! 無意味にちょっとサイバーなスケッチ旅行/2003年

二日目も続く苦難……

台風一過の驚愕

夢民村YHの外観。
夢民村YHの外観。自分の単車を入れずに撮ってしまったのは、出発前に単車に跨ったまま慌てて撮影したため(多分)

目を覚ますと、寝室は朝食の準備のためか、人の姿が少なくなっている。誰かに起こされたのか、起床の号令がかかったのか、良く覚えていない。
寝室を起き出した僕は、洗面所へ向かい、顔を洗ったが、TVのある部屋を通りかかったときに、朝食そっちのけでTVを見入っている人が居たような気がするが、それも定かでない。
朝食は、半セルフサービスのような形だったような気がするが、それも良く覚えいていない。
ただし630円という、僕の感覚からすれば高額と思える朝食はまずまず満足できるものだったのは良く覚えているし、焼鮭にハムエッグ、果物など、品目数が多くて嬉しかったのも覚えているが、食堂からキッチンへと食器を持っていったのが、お代わりをするためだったのか食器を下げに行ったのかなど良く覚えていない。
こんなに色んな事を忘れてしまっているのは、旅行記を付けているのが、この日から一年以上経っているから……ではなく、この後に知ったことが少々衝撃的だったので、記憶が消し飛んだのだと僕は思う。

席に着いて食事を始めて、味覚から正気に戻ってきた僕は、周囲の会話の内容が、やや重々しいトーンであることに気がついた。
「……台風で橋が……」「……四人が被害に……」「……すぐ近く……」「……崖崩れ……」
所々耳にはいる言葉で、僕自身にも大問題であることが食事を取り終えた頃にやっと認識できた。
つまり、昨夜の台風で新冠あたりにある橋が流され、視界の悪い暴風雨の中、それに気づかなかった車が2台川へ落ち、死者の出た事故が起こったのである。夜10時頃……つまり僕がこのYHに到着して間もない頃……だったようだ。

夢民村YHのすぐ前にある牧場。
遠くに馬がいるのが分かるだろうか?
夢民村YHのすぐ前にある牧場。遠くに馬がいるのが分かるだろうか? 夢民村YHのHPによると「乗馬もできる」とあったが、このYHの牧場なのかどうかは不明。天気は、台風一過の晴天……というわけには行かなかった。

そうか、大変なことがあったんだ……と、その時、北海道の地理に疎い僕が気づいていたのはそこまでだった。

ニュースを聞いた僕には、被害にあった方へはご冥福をお祈りする事しかできないが、今後自分がとるルートに影響はないのだろうかが、まずは気になった。
事故の話も一段落し、食事を終えた他のお客さんたちは、そのまま食堂に残り、今後の事を含めて談笑などをしていた時に、僕はペアレントさんに尋ねた。
「あのう……実は今日、豊似湖までスケッチをしに行こうと思っていたのですが、ここから二時間位見ていれば着くでしょうか?」
僕は、地図でおおよそ計算していた時間の誤差を確認しつつ、情報を得ようとしたのである。
「豊似湖……なら、順調にいけばそれくらいで着くと思いますけど……台風の後だから崖崩れが起きてなければいいんですけどね」
「え! 崖崩れ……ですか? この辺りはよく起こるんですか?」ギョッとして僕が聞くと、
「そうなんですよ。でも、そういう事がよく起こる分、対処も早くて、いつもお昼には工事も終わってますから、大丈夫じゃないでしょうかねえ」と、ペアレントさんは話してくれた。
「そ、そうでしたか。崖崩れが……」僕が落胆の表情を浮かべると、
「とりあえず、ドウロジギョウショの電話番号を控えていったらどうですか? そこに聞けば、道路のことを教えてくれますから」
「有り難うございます。伺います」
ドウロジギョウショというのは、正式には「室蘭開発建設部富士川道路維持事業所」というところで、この辺りの道路の管理をしている公共機関(?)のようだ。冬には除雪などもしているらしい。
名前が長すぎて覚えられなかったためか、僕の携帯電話には「室蘭開発局道路維持事業所」と、テキトーな記録が残っている。
イエローページでペアレントさんが指さした番号を携帯電話に控えると、僕はお礼を言って出支度を始めた。

当館の掲示板にも登場したユシマさん(左)とセクラさん。
当館の掲示板にも登場したユシマさん(左)とセクラさん。昨日苫小牧へ来たはずなのに、ホクレンの旗、いつ集めたんですか?。(注:掲示板は、サービス終了によりアクセスできません)

まず僕は「離れ」へ向かい、昨晩広げて乾かそうと思っていたものの様子を見に行った。
「離れ」は、乾燥室ではないので、濡れたものはまだグッショリ濡れていた。まあ、無理もない。
時折日が射すこともある天気になっていたため、寝室の方の片付けが終わるまでは干させてもらおうと思い「離れ」のテラスにスケッチ用の折り畳み椅子などを駆使し、鞄にしまい込みたい衣類や、レインウエア越しに濡れたジャケットなどを干して置いた。あれだけの豪雨でなくても、長時間雨の中を走っていると、袖や襟の辺りから濡れてしまうのである。

寝室へ戻ると、正当派早起きライダーさんたちは、とっくに出発していた。
残っていたのは、奇しくも、僕に豪雨中のライディングについて質問してきたユシマさんと、消灯後に少々話をしたセクラさんのお二人がいた。お二人とも学生さんで、夏休みが長いためか、ゆっくりと行動しているのだろうか。
他にも荷物が残っているベッドがあったが、YHの手伝いをしながら連泊し、ここでの生活を楽しんでいる……という人のものらしい。多分YHには、そういう観光と労働を並行し、長く安く観光しようという人もいるのだろう。
しばらく雑談などしていると、これまた奇しくも、ユシマさんがZZR400、セクラさんがEliminator250、そして僕がZRX400と、kawasakiのユーザーが3人して残っていることが分かった。これも何かの縁……と撮影したのが、右上の写真である。kawasakiユーザーはマイペース……なのかなあ。(汗)

道路の復旧がお昼だったとして、ここを10時くらいに出れば小品なら1枚仕上がる。急ぐことはあるまい……と思って、僕はおおよその片付けを終え、牧場へ馬を見に行ったりなどした。(←観光)

気付いた命拾い

赤の点線が行きたかったルート。
新冠までは20km程度……。グレーの地名も、何となく記憶して置いて下さいまし。

出発するに当たり、襟裳岬へ行きたいというユシマさんと、豊似湖を目指す僕は同じ方向だったので、そこまで同行することにし、方向が違うセクラさんとはここで別れ別れとなった。どうかお達者で。(今更だけど……)

そんなわけで、僕とユシマさんは、国道235号線を南東の方へと一緒に向かった。僕の第一目標である豊似湖は、襟裳岬を通過してしまえばすぐに到着できるだろう。
スッキリしない天気だったが、ゆっくりしていたお陰でジャケットなどは着るに難のない程度に乾いていた。このまま雨さえ降らなければ、ちょっと単車で走っていればサッパリと乾くはずだ。

……ったはずだが、ジャケットも乾ききらない程度に進んだあたりで、僕らは大変な渋滞に出くわした。対向車の姿も見られないということは、通行止めになっているということか? ひょっとすると、崖崩れの復旧が進んでいないのだろうか。僕らは先端がどうなっているのかを見極めようと、単車の特権を活かし、路肩をすり抜けてゆっくりと走った。
渋滞の最先端へ辿り着くと、そこにはヘルメットに作業服の男性が2~3人と、仰々しいバリケードが目に入った。やはり通行止めになっている。僕もユシマさんも、路肩に単車を停めて、状況を確認しようとした。
僕ら同様に、状況を見に来た他のライダーも僕らのすぐ脇に単車を停めようとしている。
僕らより先に作業服の男性に事情を聞こうとしているドライバーさんがいたので、直接話を聞かず、そのやり取りを聞くことした。作業服の人たちが、さっきペアレントさんが話していたドウロジギョウショの人たちのようだ。

ここで入手できた情報をズバリと書くと、「昨日の台風で橋が落ちて、少なくとも2、3日はここから先へは行けない」ということだった。朝聞いたニュースで車が落ちたという橋はここのことだったようだ。
一緒にドライバーさんとドウロジギョウショの人の話を聞いていた僕は、ユシマさんと一緒に、「参りましたねえ」と、肩を落としたが、事の重大さに気がついたのは、別の国道や県道から迂回して目的地へ行けないかを検討し、引き返そうと走り出したときだった。
(……落ちたのが新冠の橋で、僕が向かうかも知れなかったYHは、新冠にも静内にもあった。
今も走ってきたように、橋が落ちた地点は、夢民村YHから小一時間も走れば着くところだ。僕が夢民村YHに到着したのが9時過ぎ……。
もし僕が、もうちょっと欲を出して、新冠のYHまで行くのだ! と意気込んでいたとしたら、必ずこの国道235号線を、豪雨もお構いなしで走っていたはずだ。僕が通りかかる前に橋が落ちていたとしたら、朝のニュースで死亡者として僕の免許証の顔写真が流れていたかも知れない……)

よく考えてみると、ライダーハウスを探そうとして犬に噛まれたりなどして一時間ほどロスしたからこそ、なるべく近場にしておこうと思って夢民村YHに宿を決めたのであって、そんなことがなければ、充分に新冠か静内まで行こうと思っただろう。寄り道もしてみるものだ。マイペースにスケジュールを遵守しない僕の旅のスタイルが、良い方に働くこともある……ということなのだろうか。
なんにせよ、細かな事情が重なり合って、僕は命拾いをすることが出来たようであった。冒頭に書いた「少々衝撃的なこと」とは、このことである。

結局僕は、それらのことを、ユシマさんには話さなかった。ゆっくり話すヒマが無かったのも一つあるが、「寄り道したお陰で命拾いした……」なんて、あまりカッコの良い事ではないし、また武勇伝のように解釈されるのも抵抗があったからでもあった。

悪路に苦戦・急げど回れず

迂回路を探すべく235号線を引き返したユシマさんと僕は、とにかく迂回できそうな道を走ってみれば目的地へ向かえるかも知れない……という結論に至った。橋の開通をただじっと待つ事は出来ないし、橋が落ちていた川さえ乗り越えられれば目的地へ着くのに難はそれほどないはずなのだから。
だが、それは儚い希望だった。
国道237号線まで引き返すまでに、2本ほどの名前も表示されていない細い道へ入ってみたが、国道を逸れて間もなくの山あいの道は、あちこちで土砂崩れが起きていた。近所に住まっているであろう農家の方がショベルカーで土砂を除けていてくれるところは通れたものの、単車でギリギリ通れるような土砂崩れが幾つも見られた。
また、道路は崩れた土砂でひどくぬかるんでいて、まともに走れたものではなかった。ユシマさんも僕も、ロングツーリングに必要な荷物が満載で重心が高くなっているから尚更走りにくく、何度もアシを取られそうになった。
そうやって、苦労して奥へ進んでみたものの、結局ちょっとやそっとの作業での復旧は望めないレベルの土砂崩れに突き当たってしまい、結局引き返すしかないという有様であった。

自慢出来ることではないが、僕は山道やぬかるんだ道や、果ては冬の通勤の帰りの雪道など、「そんなときは普通オンロードのバイクでは走らない」ような状況でのライディングを何度か経験してきた(転倒した経験も含む)。そのお陰と言うべきか、ひどいぬかるみの路面でも、徐行するよりも少しだけ速いペースで走ることが出来た。だが、ユシマさんはあまり悪路の経験が無かったようで、先に悪路を抜けた僕が、ユシマさんが来るのを待つ事が2~3度あった。
僕に追いついたユシマさんは、先行して走ることの出来た僕の単車のタイヤと、自分のタイヤを見比べたりして不思議そうにしていたが、その差はどこにあったかというと、タイヤの差ではなくて、ほんの少しでもタイヤにトラクションをかけられるかどうか……の差であったのだと思う。

トラクションとは、タイヤにかける動力のことであって、静止したタイヤよりも、トラクションがかかっているタイヤの方が、路面をとらえる力が強く働く……という性質を利用するのが、悪路を走るときのコツなのである。
ユシマさんにそれを説明したかどうか記憶はあやふやだが、すぐにも滑りそうな路面でタイヤにトラクションをかけるのには少々勇気がいるし、どうしてもアクセルオンよりはブレーキの操作をしたくなる。
が、路面をしっかりタイヤにつかませるためには、アクセルを開け、少しずつでもトラクションを与え続ける恐怖心を克服する方が安全に走れるということなのだ。理屈ではなく、気持ちの問題でもあるし、とにかく慣れるのが一番かと僕は思う。
などと、自分もチビりそうなほどビクビク走っていたクセに、ユシマさんが読んだら気を悪くしそうなことを書いてしまったが、行きたいところへ単車で行こうと思ったら、悪路を走ることが無いとは言えないので、読んでいる貴方が、悪路を走ったことのないライダーさんなのであれば、参考になればと思って書いてみた次第である。
トラクションをかけ続ける……とは言っても、スピードが出過ぎると転倒への早道となりますので、くれぐれも匙加減にご注意下さいませ。
もう一つ付記しておくと、僕が、ぬかるみのまっただ中でユシマさんを待たずに可能な限りペースを落とさずに進んでいたのは、僕が転倒してしまった場合に、ユシマさんに轢かれないように……であり、先に悪路を抜けた僕が、停車して難のない、悪路からなるべく近い所で待っていたのは、ユシマさんが転倒するようなことがあった場合、すぐに助けに行けるため……である。
悪路では何が起こるか分からないし、前を行く単車が転倒したら、絶対に避けられるとは限らない。先に行ける方がなるべく先に行くのが、結局はお互いの安全のためなのである。
経験にものを言わせて意地悪をしていると思った方がいては困るので、補足しておこう。

再び単独での疾走

三たび235号線に戻ってきた僕らは、夢民村YHを越えて、国道237号線へ入るところまで戻ってきた。ここまで来ては、迂回と言うより逆走しているようなものだ。
先行して走っていた僕は、237号線に入ってすぐの所にあるコンビニエンスストアにウインカーを出し、ユシマさんに停車を促した。小一時間に渡って悪路を走ってきて一息入れたかったのと、水分補給と、ドウロジギョウショに電話をし、どういうルートをとるべきかを聞いた方が良いと思ったためだった。
飲み物を調達し、駐車場で国道の様子を見ていると、235号線に向かって走ってくるライダーさんが目に付いた。ひょっとして、ここなら通れるのか?……と思ったが、二人乗りライダーのタンデムシートに座っている女の子が、こちらに向かい、両手で×印を作って合図している。要するに「ここから先へ行っても通れないよ」と、サインを出してくれているのである。
「こっちも通れないみたいですね」僕はユシマさんに言うと、合図に気づいたユシマさんも苦い顔をしている。
「ペアレントさんからドウロジギョウショの電話番号を聞いているんで、ちょっと電話してみますよ」と僕は言い、携帯電話を取り出した。

赤の実線が最終的に通ったルート。
赤の実線が最終的に通ったルート。この日だけで400km以上走りましたとも。(溜息)
『はい、富士川道路維持事業所です』と、中年の男性の声。「ドウロジギョウショです」と名乗らないのにちょっと驚きつつも、
「ええっと……235号線から襟裳の方を抜けて帯広方面へ行きたかったのですが、国道や道道などで迂回できるようなルートがあるか、分かりますでしょうか?」と、僕は地図を見ながら質問した。
『こちらで把握している限りでは、帯広方面へ行けるルートは、今の所全部通行止めになっていますねえ』とのこと。ぐっ、やはりそうか。
「復旧にはどれくらいかかるか、見通しでいうとどれくらいですか?」重ねて僕が聞くと、
『何とも言えませんが、今日明日での復旧は難しいと思いますよ』
う"、そうなのか。
「では、無理矢理にでも帯広方面へ行こうと思ったらどれくらい迂回しなくてはなりませんか?」
『内陸の方を通れば、大体大丈夫だと思いますよ』
「つまり……札幌の近くまで行って、38号線を通る……なら大丈夫でしょうか?」僕は地図を指でなぞりながら更に聞くと、
『え~、そっちなら大丈夫ですね』とのことであった。

お礼を言って電話を切り、ユシマさんにその旨を伝えると、
「そ、そうですか。どうしようかなあ……」と、いよいよ本格的に落胆の色を浮かべた。僕も同じ気持ちだったが、やはり僕は絵描きとして、旅の目的を優先すべくこう言った。
「僕は予定を変更して、予定と逆のルートをとろうと思います。あまりゆっくりもしていられないし、随分とロスしましたので、内陸を通って東雲湖を目指しますよ」
「え! それだと凄く遠回りじゃないですか!?」と、ユシマさんは驚いて見せたが、
「スケッチをしに来た以上、仕方ないです。何もせずにいるわけにも行かないので……済みませんが、一緒に走るのはここまでにしましょう」
「そうですか。じゃあ、気を付けて」
「ええ、ユシマさんも安全で楽しい旅を!」
そう告げると、僕は235号線を更に後戻りし、234号線へと向かった。
初めて北海道へ来た(確か)若いライダーさんを置き去りにするようで、さすがに気が引けたが、彼も男だし、僕みたいなオジサンといつまでも一緒に走ってはつまらなかろうという気もしたので、僕は自分の旅を優先させたのであった。
ユシマさん、どうかこのあともご無事で!(これまた今更)

戻って読む

次を読む

03年の旅行記のtopへ

旅行記のtopへ

美術館に戻る