三大秘湖を目指せ! 無意味にちょっとサイバーなスケッチ旅行/2003年

遠回りの後、見付からぬ宿

それでも走れ!

北海道の名物の一つである揚げ芋。
北海道の名物の一つである揚げ芋。ジャガイモに衣を付けて揚げてある。しょっぱいのかと思っていたのだが、甘めでした。この旅二度目の串もの。

途中でちょっとだけ道に迷いそうになったものの、すぐに軌道修正し、234号線から38号線へとルートをとった。大まかになら地理が把握できてきたので「あ、間違った!」ということくらいは分かるようになってきたようだ。
ここからしばらくはかなり記憶が曖昧だ。とにかく一刻も早く次の目的地へ行くことしか考えていなかったし、ちょっと観光出来るような場所の心得もなかったからである。
先を急ぐ僕は、右の画像の揚げ芋を食べたくらいで、食事もロクにしないまま走り続けた。
が、またしても思うようにはいかなかった。国道38号線がもの凄く渋滞していて、気持ちよく走れなかったのだ。車のナンバーを見ていると、北海道以外の車がひしめいていて、僕がしたのと同じようなルート変更をしてきた車のせいでこれほどまでに混んでいるのだろうと思えた。

道路頭上にある、道路情報を表示する電光掲示板にも、「○○峠~○○号線まで○km渋滞」とか「××号線通行止め」などと、げんなりする内容が表示されている。
ヤレヤレ……と思いながら、無理のない範囲で僕は走り続けた。
そうやって闇雲に走り続けていて、気がつくともう日没も近い。セクラさんと別れたのがお昼過ぎくらいだったので、もう数時間も走っていることになる。陽が落ちて時間が経てば経つほど、空気も冷たくなってくる。「今年もまた寒いライディングが続くのかなあ」と思いながらも、とにかく僕は走り続けた。
時間も20時を過ぎた頃だっただろうか、予定していたルートとは違うものの、「←然別湖」という標識が目に入った。僕が目指す東雲湖は、然別湖のすぐ近くにある。一瞬僕は、そちらへ行くべきかどうかを迷ったが、地図で国道をたどって行くよりも早く着くルートだからこそこうして標識が出ているのだろう……と思った僕は、国道から逸れて標識通りのルートを選んだ。然別湖に向かうのは理屈として間違っていないはずだった。
そのルートは、国道ほど広い道ではなかったが、キチンと舗装された左右一車線ずつの道が続いていた。

対向車すら滅多に通らないのが不気味ではあったが、渋滞もなく気持ちよく走れる。暗くて景色は分からなかったが、山林や農村を突っ切って然別湖へ続いているのだろう。気持ちよく走れるようになったと思ったら、すっかり暗くなっていて、相変わらずツーリングっぽい走り方ではないなあ……などと思った。
街灯も少なく、暗いことも相まって、どんどん寂しい雰囲気が漂ってくる。しかも、山間部に差し掛かっているためか、随分と冷え込んできた。雰囲気といい体感気温といい、寒々しいことこの上ない。
「あー、今年も過酷な旅になりそうだな~」と思いながら走っていると、この辺も記憶が曖昧だが「然別湖が近いよ」という標識が目に入り、幾らか救われた気分になった。

北海道で初の温泉らしい温泉

山田温泉の外観。
山田温泉の外観。これだけ昔ながらの外観を保っている温泉は、北海道でも少なくなっているのでは?

湖沿いの道を、なおも走り続けていた僕は、とりあえず食事がとれてお手頃な宿を探していた。然別湖畔には、大きめのホテルが建ち並んでいて、ちょっとした観光地になっているようだ。まあ、この辺のホテルはお金持ちが泊まる所だろうから……と思い、潔く通過した。
ホテル街を抜けると、しばらくは街灯も無いような山道が続き、またしても寒々しさを味わわされる。
ざっとライダーズマップルを見ていた範囲でも気が付いていたのだが、キャンプ場らしき看板も通過した。食材の買い出しもしていないし、この時間からテントを張るのは御免被りたいなあ……などと思いながらも、最悪の場合は、ここでの宿泊も有りか……と思った。
キャンプ場を過ぎると、唐突に明るく照らされている建物が目に入った。どうやら温泉宿のようだ。
僕は、一旦通り過ぎようかと思ったが、こういう宿なら僕に似つかわしい料金で宿泊できるのではないかと思え、ちょっと立ち寄ってみることにした。
駐車場に単車を停め、大きなガラスのはまった木製の引き戸を開けると、すぐ左手が受付らしいが、人影はない。
建物も昭和初期に建てられたかのようで、寒々しい思いをし、寂しい山道を走ってきたこともあって、「ここに金田一耕助という探偵は泊まっとらんかね?」と、磯村警部が姿を現しそうな佇まいである。

右手の方に食堂らしき所があり、そちらの方から女将さんらしき中年の女性が姿を現した。女性の姿は比較的平成的(?)で、「いらっしゃいませ、お泊まりですか?」と、声を掛けられたのに、少しだけホッとした。

「ええっと……一泊おいくらですか」と、僕が聞くと、素泊まりでも7,000円(税別)で、今からだと食事は付かない……とのことだった。
「そうですか。ええっと……日帰り入浴も出来るんですよね。とりあえず、お風呂をお願いしたいのですが……」
僕はそう言い、荷物はあっち、浴場はあっちとの指示を貰い、500円(確か税別)の入浴料を払い、必要な物と貴重品だけを携え、浴場へと向かった。単車から降りたばかりの僕は、まだまだ身体が冷えており、鼻孔から滲む鼻水は、まだまだ治まらない様子であった。

浴場へ到着すると、建物の外観以上に昭和を、いや大正すら感じさせるような造りになっていたが、湯気混じりに温かい空気が充満していて、救われた気持ちになったが、見れば見るほど家族の業が絡んだような殺人事件の舞台になっていてもおかしくない風情が漂っている。
浴室へ入ると、宿泊客であろう男性が二人、湯に浸かっていた。父50代、息子20代という感じの親子に見えた。
湯船にゴムマスクを被った男が逆さまになっていないのに少々安心しながら、シャワーも付いていない、造りの古いカランの前に腰掛け、かなり大雑把に身体を洗い、湯船に身体を沈めた。

本音を言うと、他にお客さんがいなければ、一直線に湯船にドボンと行きたいくらいであったが、状況はどうあれマナーは守るべきですな。
昨年の旅行記にも幾度か書いたように、僕はあまり温泉や入浴に執着がある方ではないのだが、冷え切った身体を温めるときの温泉は、やはり有り難いものだ。肩まで使った瞬間に「あ"あ~」と声が出そうになるのを、僕はかろうじてこらえた。
浴室は、最低限の照明が(裸電球だった気がする)灯っていて薄暗く、親子の話し声が寂しく響き渡っていた。深夜に一人で入るにはちょっと怖いかも知れない……という気がしなくもなかった。
今時の温泉は、サウナがあったり、ジャグジーがあったり、これでもかとお客を呼ぼうとしている感じだが、ここの温泉は本当に昔のままの風情である。然別湖の湖畔という立地はあるにせよ、これだけうらさびしい佇まいのまま営業を続けていると言うことは、良く知られた名湯なのかも知れない……と思ったが、僕に湯の良し悪しは分からない。温まれればとりあえず文句はない。
(注:後日調べた所によると湖畔にある大きなホテルの別館ということになっているらしい)

さて、この後どうしようか、と僕は湯に浸かりながら考えた。お腹もかなり空いてきたし、食事も付かないのではここに泊まるのは遠慮したい。今からあちこち探し回ったとしても、チェックインできるのは10時を過ぎる時間となり、常識的に考えればギリギリの所だ。さっきのキャンプ場への宿泊も選択肢の一つだが、この夏初のキャンプを闇夜にスタートさせたくない。
「よし、もう少し先へ行って、食事を取れる宿があるかどうかを探そう」と、僕は行き当たりばったりな計画を立てた。連日宿を取るのは予算的にも問題があるが、橋が落ちたというハプニングによる緊急事態だから仕方がない。
……と、15分、いや10分くらい経ったくらいだろうか、身体はすっかり温まり、こめかみの辺りを汗が伝うようにすらなってきた。
先ほどの親子は、言葉少なながら、まだ会話を続けていて、まだ湯から上がろうという気配はなかった。後から入って先に出るのには少々抵抗があったし、入浴料が少し勿体ない気もしたが、これ以上の入浴は僕にとっては有り難みが少ないし、あまりゆっくりもしていられない。そう思った僕は、親子を残し、あっさりと先に脱衣場へと向かった。

なおも走る

なおも走ったルート。
なおも走ったルート。前出の地図では、「然別北岸野営場」のところで通ったルート(赤線)が切れていたが、本当はもう少し北の方まで走っておりました。

着替えを済ませ、パッキングを済ませると、見送ろうとしていた女将さんに僕はとりあえず聞いてみた。
「この先にあるキャンプ場は、今からでも利用できるでしょうかね? あと……利用料はお幾らかご存知ありませんか?」
「大丈夫だと思いますよ。250円だったと思いますけど、今だったら料金も払わなくていいんじゃないですかねえ」
「え? ……そうなんですか?」僕は少々驚いた。北海道のキャンプ場は値段も安いし、その辺のチェックも厳しくない感じの所が多い気がしたが、この辺も例に漏れずおおらかなのだろうか。それにしても、キャンプ場にほど近い旅館の関係者が、そんなことを言うとは……。
「ともあれ、有り難うございました」と言葉を残し、僕は旅館を去った。

しばらく進むと、本格的な山道になった。道幅も狭く、霧が出始めて視界も良くない上、厳しいカーブが続く。
山間部の峠道を走っていると、温泉のお陰で蒸し暑いほどになっていた体温も瞬く間に奪われていき、また冷え込んでくる。
「何のために温泉に入ったんだか分からないなあ」と思いつつも、僕はひたすら走り続けた。そもそも何が楽しくて闇夜の峠道を走らなくてはならないんだろうか。全ては台風のせいだ!(半泣)
充分に成長したと思しきキタキツネを一匹、イタチのような姿をした毛の白い動物を一匹目撃するなどして峠道を抜けると、間もなく糠平(ぬかびら)という温泉街へとたどり着いた。

温泉街だけあって、ホテルと呼んで良さそうな構えの所や、ペンション風のバンガローや、典型的な温泉宿など、宿はたくさん見かけられたが、先ほどの山田温泉と同様の佇まいの旅館となると、これまた同様に「今からの食事は無し」という可能性が高いと思えた。僕は、本格的な旅館というよりは、レストランが宿もやっているみたいなところは無いかと目星をつけ、三軒ほどあたってみたが、満室、受け付け終了、食事が高い……という事情で、宿も食事にもありつけなかった。
途方に暮れた僕は、タンクバッグからライダーズマップルを引っぱり出し、情報を探った。
このまま273号線を北上していくと、宿やライダーハウスがあると記されている。宿は望み薄だが、ライダーハウスなら夜11時でも受け入れて貰えたことが昨年あったし、食事は無理でも数千円の宿代はかかるまい。
「ようし、行け行けえ!」と、僕は意を決し、再び走り始めた。

が、夜も更けてきて宿らしい宿は見つからないし、見つかったとしても看板の明かりが消えていたりなどして、結局20kmほど走ったにも関わらず、結局僕は希望するような宿を見つけることは出来なかった。

虚しい食事と携帯での通話

なおも進むと、煌々と光るセイコーマートの看板が目に入った。
「……仕方ない。食事だけでも済ませよう」と呟いた僕は、セイコーマートに入り、お弁当のコーナーへ向かった。
どうせなら北海道ならではのお弁当を……と思ったのだが、時間も時間だったためか、数も種類も残り少なくなっており、残っているものに食指が動くものはほとんどなかった。
弁当のコーナーの脇にある惣菜のコーナーに、お好み焼きがあるのを見つけ、購入することに。何故お好み焼きなのかというと、僕の住むアパートの周辺のコンビニエンスストアに売られているお好み焼きは、焼きそばが挟んであるヤツばかりで、断固「小麦粉のつなぎのみで作られたやつ」派である僕には有り難みがあったのである。
「東京で買えなくて、北海道で買える……ということは、北海道ならではと言えるじゃないか」と、無理矢理自分を納得させ、単車を停めた傍の駐輪場の車輪止めに腰掛けて、見る見る冷めていくお好み焼きにがっついた。空腹は最高のスパイス……とか言われるが、アレはウソだと思えるほど、美味しさは感じられなかった。冷めて生ぬるくなっていくお好み焼きは、体感気温をどんどん下げた。
と、半分も食べ終わらないうちに、いきなり携帯電話が鳴り出した。
「ぐっ、食事中にぃ……」と思いつつも、液晶に表示された名前を見ると、バンドのメンバーからであった。
「え、バンド?」と、読んでいる貴方は思うかも知れない。
このHPでは今までほとんど触れることがなかった事だが、僕はこの夏から月一回のペースでスタジオに入ってバンドの練習に参加するようになったのだ。
メンバーは近所の飲み屋さんで知り合った人たちであり、アコースティック・ギターが二人にサックスが一人、そしてボーカル+ガットギターを僕が……という独特な編成である。他のメンバーさんたちは、別にもバンドを組んでロックを中心に活動をしているベテランであり、僕がボサノバを弾き語るという話を聞き、「ボサノバはやってみたかったから、是非一緒に」と熱っぽく誘われて参加するに至ったのである。
ライブも何度もこなしている他の方々に比べて、マイルーム・ミュージシャンだった僕のギターは我ながら下手くそで……あっと、本題に戻ろう。

「ああ、やっと繋がったよ」と、第一声を発したのはアコースティック・ギターのI氏で、台風が北海道に上陸したのが心配で、何度も電話したけれど全く繋がらず、まさか……と思っていたらしい。そう言えば、国道38号線から然別湖に向かう分かれ道からは電波が届きそうにも無かったっけ。
「いやあ、僕の携帯だと北海道では繋がらないところも少なくないみたいなんですよ」
「そうだったんだ。でも本当にもしもの事があったんじゃないかって心配したよぉ」と続けるI氏。
「そうでしたか。でも今の所無事ですよ。本当を言うと、昨晩は命を落としかけなくもなかったんですが……まあ、詳しくは東京でお話しますよ」
「何にしても、無事で良かったよ。ちょっとHさんに代わるね」となおも続けるI氏。どうやらお二人で、僕もたまに行く飲み屋さんで一杯やっているようだ。
「いやあ、どうもどうも。Iさん凄く心配してましたよ」とサックスで、同い年のH氏。他のお二人は我々よりも少し年長である。
「タハハ。そうでしたか。心配かけましたねえ。いやあ、宿が見付からなくて困ってるんですよ。今コンビニでお好み焼きを買って食べてます」と、冷めゆくお好み焼きと、長距離の携帯電話によるI氏の通話料を気にしながら、H氏とも言葉少なに会話をしたのち、再びI氏。
「この後もほんっとうに気を付けて。いい絵を描いてきてね」と、念を押すようにして言った。
「ハイ。肝に銘じます。必ずまた一緒に練習できますよ」と言い、僕は電話を切った。

まあ、実際に最初から苦難続きの旅となっているが、しすぎなくらい心配してくれているんだなあ。仲間とは有り難いものだ……と、僕は思った。僕が身を置く美術の世界は、基本的に単独で作業をするものであり、共同で何かを成し遂げようとする仲間とはあまり縁がなかった。
だが、バンドなどに参加してみて仲間というものと関わってみると、やはり得難いものなのだなあと、遠く北海道へ来てみて、強く実感できたような気がした。

ライダーハウス発見

お好み焼きを食べ終えた僕は、キャンプ場での宿泊をする方向へと考えを切り替え、来た道を逆戻りすることにした。
時間も11時近くなっているし、普通の宿こそ泊めてくれない時間と考えた方が良いだろう。
対向車もすっかり少なくなった夜道を走っていると、普通の喫茶店かと思っていたところに、ライダーハウスの看板が出ているのに気が付いた。道路の脇の背の高い植え込みに隠れていて、さっき通り過ぎたときには気付かなかったのだ。
「あっ!」と思った僕は、駐車場に乗り入れて様子を伺った。お店の方はすっかり明かりも消えていたが、ログハウスっぽいつくりの建物には明かりが灯っている。単車のエンジンの音を聞きつけたのか、閉じていたカーテンからこちらを覗く人影が見えた。その建物がライダーハウスであれ、管理者さんが住むところであれ、このまま立ち去っては良くないかと思い、僕は入口を捜した。
店舗とログハウスの間の通路を進むと左手にログハウスの入口が見付かり、更に奥の方に見える二階の窓からも明かりが灯っているのが見える。これは、十中八九ログハウスの方がライダーハウスと考えて良いだろう。
とりあえずは人の動きがあった方を……と思い、ログハウスの入口のドアをノックし、恐る恐る開けてみると、中には中年の男性が二人と、二十代くらいの男性が三人ほどいて、乾きものをつまみに、缶酎ハイやビールなどを飲んでいるのが見えた。
「こんばんは。夜分に失礼します。ライダーハウスはここですよね?」と、挨拶したのちに僕が聞くと、
若い男性の一人がこちらの方へ近づいてきて、「そうですよ。泊まるんですか?」と声を掛けてくれた。
「そうしようかと思ったんですが……今から受け付けて貰えるんでしょうかねえ?」

「うーん、管理人さんはまだ起きてるんじゃないかと思うけど……」と、振り向き、他のお客さんたちの顔色をうかがうが、皆同様に「さあ、どうかねえ」という顔をして見せた。
「今日はとりあえず泊まっちゃって、明日料金を払うことにしたらどうかな。まあ、入ってゆっくりしたらどう?」と、ライダーが良く着ている感じのジャケットを着た中年の男性も助言をくれる。
「……うーん、折角ですが、それは遠慮した方がいいと思います。勝手に泊まって管理人さんが怒るようなことになったら、僕だけの問題では済まなくなりますから……。すぐに受け付けて貰えるようなら泊めていただこうと思っていたんです」と、僕は言った。料金さえ払えば、こちらも困っているときのことだし、管理人さんが怒るようなことはないのではないだろうか……というのが、僕も本音だったが、既に和やかな雰囲気が出来ているところに新参者として輪に溶け込もうと気を遣ったりするのが、少々億劫だったこともあっただろうか。
そもそも僕の無計画な旅行が原因で、正規の手続きもせずに宿を借りて、本当に先客の皆さんに迷惑をかけるようなことがあっては、どうお詫びしたらよいかも分からない。
「どうも夜分にお邪魔しました。ご存知とは思いますが、この先にキャンプ場もありますから、そちらへ行くことにします。皆さん、どうか楽しい旅を」と、僕は頭を下げ、無理に引き留める立場でもない先客の皆さんも、どうか気を付けて、と手を振ってくれた。

「よし、キャンプ場へ行くことにしよう!」と、いよいよ僕は腹をくくった。今からキャンプ場に入ってテントを張るのも、勝手に泊まるのと大差はないが、キャンプ場なら僕だけの問題で済むから、幾らか安心できるというものである。

闇夜の幕営

ライダーハウスもある喫茶店だかレストランだかの敷地を出て、さっきも走った峠道を抜け、しばらく行くと、キャンプ場の看板が見えた。大きな板に「然別湖北岸野営場」と彫り込まれていて、いかめつらしくも立派な看板である。
キャンプ場へ入っていくと、ほとんどの照明は落とされ、ひっそりと静まり返っている。
「ううむ、ここは本格的なキャンプ場のようだなあ」と僕は思った。
『観光に魂を売り払っている』タイプのキャンプ場なら、駐車場や通路、トイレなどには深夜でも煌々と街灯が灯っているものだが、トイレがどの辺にあるのかも分からないほど、テントサイトは真っ暗だった。実際の所、夜も12時になろうかという時間だから当然なのだが。
『ここでは、日が昇ったら起きて、日が沈んだら寝なさい』と、動物としての人間の自然なリズムを示唆しているかのようだ。昼夜逆転した不自然な暮らし向きのをしている僕が、闇夜に幕営など、やはり罰当たりな事なのかも知れない。
暗闇に目が慣れるのを待ち、単車を停めて良さそうな場所からなるべく近く、そしてトイレのすぐ傍では無さそうな場所に目星をつけた僕は、タンクバッグからヘッドランプを探り出して額に装着し、パッキングを解いた。
周囲を見回してみると、所々に立っている木の間にテントの影がチラホラ見られ、その中にはまだ起きている人が居るのか、ランタンの明かりが灯っているものもあった。

昨年もキャンプ初日は夜中だったが、ヘッドランプが有ると無いとでは作業の効率が随分違う。

ランタンをセットしてしまえば、作業は楽になるが、そのランタン自体を取り出したり組み立てたりするのも、暗闇の中では結構ホネだし、いざセッティングが済んだとしても、こんな深夜に煌々とランタンを灯すのは、他の皆さんの迷惑にもなりうるので、ヘッドランプの有り難みはひとしおである。こういう便利には手放しであやかるべきだ。
昨年(2002年)に、ソロツーリングやキャンプについてネットで調べているときに初めて知った言葉の一つが「幕営」である。確か昨年も旅行記の中で使った言葉で、僕がそうだったように、文脈から意味は察することができるとは思うが、元々は布を張り巡らせて野営すること……である。戦国時代の大河ドラマなどで見かける、戦場に垂れ幕のようなものに囲まれた区画に武将が腰掛けていたりするヤツがルーツだろうか。
ほぼ一年ぶりの幕営だったが、手こずることなくテントを張り終えた。サイトは固く締まった土のようで、砂浜や芝地のように踵でペグを押し込むような力業は効かないが、整地の必要も無さそうなくらい平坦なので、荷物さえ運び込めば何とかなるだろう。夜寝るだけなのだから。
次々と荷物を……但し、静かに静かに放り込み、どうにか一息ついた僕は、煙草に火を点けた。
昨年もそうだったように、幕営や荷物の運び込みなどをしていると、しんしんと冷え込んでいた身体も少し温まり、気持ちも楽になってきた。
「ああ、さっき小瓶の一つも買ってくれば良かったなあ」などと考えたりもしたが、安堵感につられか疲労感が、思い出したように湧き起こってくる。それもそのはず、昨日の分も合わせると、とうに1000kmを超える距離を走ってきたのだ。お酒の力を借りなくてもすぐに眠れそうだ。

僕は、煙草を吸い終えるとシュラフに入り、横になった。
少しでも今日のことを記録しておこうとノートパソコンを取りだし、執筆を……と思ったが、どういう訳か電池が切れている。昨晩もYHでバッチリ充電したはずであり、しまうときにキチンと電源も切ったはずだが……。
「これは、早く寝ろということかな」と僕は苦笑し、ノートパソコンをしまうと、仰向けになった。
台風のお陰で第一の目的地となってしまった東雲湖は、もうすぐそこだ。熟睡して体力を回復させなくては。何しろ明日は、山道を延々と歩かなくてはならないのだから……。

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