山田温泉の外観。これだけ昔ながらの外観を保っている温泉は、北海道でも少なくなっているのでは?
湖沿いの道を、なおも走り続けていた僕は、とりあえず食事がとれてお手頃な宿を探していた。然別湖畔には、大きめのホテルが建ち並んでいて、ちょっとした観光地になっているようだ。まあ、この辺のホテルはお金持ちが泊まる所だろうから……と思い、潔く通過した。
ホテル街を抜けると、しばらくは街灯も無いような山道が続き、またしても寒々しさを味わわされる。
ざっとライダーズマップルを見ていた範囲でも気が付いていたのだが、キャンプ場らしき看板も通過した。食材の買い出しもしていないし、この時間からテントを張るのは御免被りたいなあ……などと思いながらも、最悪の場合は、ここでの宿泊も有りか……と思った。
キャンプ場を過ぎると、唐突に明るく照らされている建物が目に入った。どうやら温泉宿のようだ。
僕は、一旦通り過ぎようかと思ったが、こういう宿なら僕に似つかわしい料金で宿泊できるのではないかと思え、ちょっと立ち寄ってみることにした。
駐車場に単車を停め、大きなガラスのはまった木製の引き戸を開けると、すぐ左手が受付らしいが、人影はない。
建物も昭和初期に建てられたかのようで、寒々しい思いをし、寂しい山道を走ってきたこともあって、「ここに金田一耕助という探偵は泊まっとらんかね?」と、磯村警部が姿を現しそうな佇まいである。
右手の方に食堂らしき所があり、そちらの方から女将さんらしき中年の女性が姿を現した。女性の姿は比較的平成的(?)で、「いらっしゃいませ、お泊まりですか?」と、声を掛けられたのに、少しだけホッとした。
「ええっと……一泊おいくらですか」と、僕が聞くと、素泊まりでも7,000円(税別)で、今からだと食事は付かない……とのことだった。
「そうですか。ええっと……日帰り入浴も出来るんですよね。とりあえず、お風呂をお願いしたいのですが……」
僕はそう言い、荷物はあっち、浴場はあっちとの指示を貰い、500円(確か税別)の入浴料を払い、必要な物と貴重品だけを携え、浴場へと向かった。単車から降りたばかりの僕は、まだまだ身体が冷えており、鼻孔から滲む鼻水は、まだまだ治まらない様子であった。
浴場へ到着すると、建物の外観以上に昭和を、いや大正すら感じさせるような造りになっていたが、湯気混じりに温かい空気が充満していて、救われた気持ちになったが、見れば見るほど家族の業が絡んだような殺人事件の舞台になっていてもおかしくない風情が漂っている。
浴室へ入ると、宿泊客であろう男性が二人、湯に浸かっていた。父50代、息子20代という感じの親子に見えた。
湯船にゴムマスクを被った男が逆さまになっていないのに少々安心しながら、シャワーも付いていない、造りの古いカランの前に腰掛け、かなり大雑把に身体を洗い、湯船に身体を沈めた。
本音を言うと、他にお客さんがいなければ、一直線に湯船にドボンと行きたいくらいであったが、状況はどうあれマナーは守るべきですな。
昨年の旅行記にも幾度か書いたように、僕はあまり温泉や入浴に執着がある方ではないのだが、冷え切った身体を温めるときの温泉は、やはり有り難いものだ。肩まで使った瞬間に「あ"あ~」と声が出そうになるのを、僕はかろうじてこらえた。
浴室は、最低限の照明が(裸電球だった気がする)灯っていて薄暗く、親子の話し声が寂しく響き渡っていた。深夜に一人で入るにはちょっと怖いかも知れない……という気がしなくもなかった。
今時の温泉は、サウナがあったり、ジャグジーがあったり、これでもかとお客を呼ぼうとしている感じだが、ここの温泉は本当に昔のままの風情である。然別湖の湖畔という立地はあるにせよ、これだけうらさびしい佇まいのまま営業を続けていると言うことは、良く知られた名湯なのかも知れない……と思ったが、僕に湯の良し悪しは分からない。温まれればとりあえず文句はない。
(注:後日調べた所によると湖畔にある大きなホテルの別館ということになっているらしい)
さて、この後どうしようか、と僕は湯に浸かりながら考えた。お腹もかなり空いてきたし、食事も付かないのではここに泊まるのは遠慮したい。今からあちこち探し回ったとしても、チェックインできるのは10時を過ぎる時間となり、常識的に考えればギリギリの所だ。さっきのキャンプ場への宿泊も選択肢の一つだが、この夏初のキャンプを闇夜にスタートさせたくない。
「よし、もう少し先へ行って、食事を取れる宿があるかどうかを探そう」と、僕は行き当たりばったりな計画を立てた。連日宿を取るのは予算的にも問題があるが、橋が落ちたというハプニングによる緊急事態だから仕方がない。
……と、15分、いや10分くらい経ったくらいだろうか、身体はすっかり温まり、こめかみの辺りを汗が伝うようにすらなってきた。
先ほどの親子は、言葉少なながら、まだ会話を続けていて、まだ湯から上がろうという気配はなかった。後から入って先に出るのには少々抵抗があったし、入浴料が少し勿体ない気もしたが、これ以上の入浴は僕にとっては有り難みが少ないし、あまりゆっくりもしていられない。そう思った僕は、親子を残し、あっさりと先に脱衣場へと向かった。