便利に毒されし者の北海道おっちょこちょいスケッチ旅行・2002年

雨はもーいや! ライダーハウスへ

8月13日・雨の中の出発

管理棟へ退場することを告げ、単車に戻ろうとすると、見知らぬ初老の男性が僕に話しかけてきた。作業服姿だったが、管理員さんではなさそうだった。
「君は、今日ここでキャンプするのか?」
「いえ、もう出るところですが……何か?」と聞き返すと、
「今日はどこかに避難した方がいいぞ。今夜は嵐になるぞお」と、怖い顔をして仰る。そんなことが分かると言うことは、漁師さんなのだろうか。
「そ、そうですか。ともあれ、ここからは離れます。どうも」と、僕は言い、三里浜キャンプ場を後にした。小心者の僕を、そんなに脅さないで欲しい。

相変わらずパラパラと雨は降り続く中を、僕は国道238号線を北上……厳密に言うと、北西か北北西くらいだろうが、とにかく湧別町を後にして走り続けた。
途中で、国道や県道などの分岐が複雑なところがあって、道に迷いかけたが、「おかしい!」と思った時点で地図をチェックし、軌道修正できた。今までの単独長距離ツーリングでは、こんな簡単なことを怠ったために、もの凄く時間をロスしていたものだが、少しは進歩したようだ。
と、そうして軌道修正したときに、ホクレンのガソリンスタンドを発見した。キムアネップのキャンプ場で噂に聞いた、旗のもらえるガソリンスタンドだ。
僕は、非常にへそ曲がりで、人がしているのと同じ事をするのが、あまり好きではないし、流行っている店、物にもあまり興味が湧かない。旗の噂を聞いたときも、「集めるかどうかは別として謎が解けた」などと言っていたように、腹の底では「集めてたまるか」くらいに思っていた。
だが、北海道へ来て、良い出会いを重ねていくうちに、僕のへそ曲がりも幾分矯正されてしまっていたのか、「ちょうど、ガソリンも入れ頃だし、貰っていくか」という気持ちになった。

1本目の旗とあえて日常的な食事

噂に聞いたとおり、「旗をもらえますか?」と聞くと、スタンドのお姉さんはすぐに旗をもってきてくれた。随分と簡単にくれるものだ。まあ、タダで渡すことになっている物を、渋ってもしょうがないだろうけど。

本当は「北海道まで来て、なぜそんなものを?」と言われたくて食べることにしたのだが。
本当は「北海道まで来て、なぜそんなものを?」と言われたくて食べることにしたのだが。(カレードリアセット 590円税別)
他にも、スタンプカードにもなっている、道内の店舗紹介や、サービス要綱が書かれたカードもくれた。スタンプが一杯になると種々豪華賞品が貰える懸賞に応募できるらしい。大盤振る舞いだなあ。
給油を済ませ、貰った旗を落ちないように、然も人目に付くように積み荷のネットに挟んで、ガソリンスタンドを後にした。
238号線をしばらく行くと、自分自身も腹が空いているのに気づく。燃料の補給どきだ。
先ほど話に出てきた紋別にさしかかると、ケンタッキー・フライド・チキンへ入った。
わざわざ北海道で食べなくても良さそうなものだが、こういう食べ慣れたものを食べると、ホッとする部分もある。きっと僕なら、アメリカへ行って日本食を食べられなくても、KFCがあれば、何とか生活できそうだ……とすら思った。

なおも続く雨と再び反省

食事を済ませると、僕は北を目指してひた走った。
さあ、ここからグレーな気分は、日も傾いた空に同調するかのようにして色を濃くする。雨足が強くなってきたのだ。
天気予報を真に受ければ、道北(北海道の北部)が曇っているというのだから、そこに至るまでのエリアが雨なのはうなずける話だが、このまま走っていって、本当に雨は上がっていくのだろうか。

その時僕は、今回の旅行で降られた雨の時と同様、レインウエアのパンツを着用していなかった。そのせいであれほど寒い思いをしたのに、何故今回も穿かなかったかというと、腰のゴムが緩みきっていて、着用したまま二、三歩も歩けば膝の中ほどぐらいまでずり下がってしまうからなのである。
10年くらい前に購入した年代物だから仕方ないと言えばそれまでだが、買い物や休憩の度にレインウエアをずり上げるのは、僕がそれほど「エエカッコしい」では無いにしても耐え難いことであったのだ。
「それくらいなら濡れる方がマシ」と思っていたから着なかったのだが、この状況では、まさしく誤った判断だったようだ。

やがて日もとっぷりと暮れた。気温自体も下がっているためか、濡れた下半身が厳しく冷え込む。北へ向かっているのだから尚更だ。
ヘルメットのシールドは、車のフロントガラスに比べて雨による視界の悪化が著しい。あまつさえ僕が着用しているヘルメットは数年前から使っている年代物(ヘルメットの安全保証期間は3年くらい)であり、シールドには細かい傷が沢山入っていて、水滴が付こうものなら対向車のヘッドライトによる乱反射が激しい。ほとんど前が見えなくなる。
僕は視力がとても良いが、それで補えるものでもないし、普段がよく見ていえる分、視界が悪くなったときには、違和感や恐怖感を人一倍強く感じていると思う。僕は、対向車が来るたびにスクーターにも追い抜かれるくらいに速度を落とさざるを得なかった。
キャンプの小道具ばかりに気を取られ、ライディング中の安全や快適のための準備を怠っていたことが、死ぬほど悔やまれた。

猿払キャンプ場を通過

そんな風に、視界の悪い中でビクビクしながら走っていると、時折すれ違う対向車からはザブリと強烈な水しぶきを浴びせられる。大粒の水滴が凄い勢いで飛んでくるのだから、露出している首などに当たると結構痛い。大型のトラックなどから放たれる水しぶきは、死刑囚が受ける一斉射撃やさもあらんといった感じである。
正直なところ、浴びた水しぶきのために、転倒するかと思ったことも何度かあった。
「こんな目に会うくらいなら、キャンプ場に留まって、テントの中で嵐に会った方がマシだったんじゃないのか?」と、怖い顔で人を脅したおじさんの顔を思い浮かべながら思ったりした。
寒さ、不快感、恐怖感……単車に乗る上での苦しみの全てを同時に味わっているような気分だ。

そんな苦難に耐えつつ、口ひげさんに見せて貰ったライダーズマップルにも書かれていたのを覚えていた、猿払のキャンプ場を通りかかったので、場内に入って様子を見てみた。
キャンプ場は、ホテルのような大きな宿泊施設の隣にあり、その施設の公園を無理矢理キャンプ場だと称しているかのような所で、宿泊施設の付属物といった感じがした。その分、きれいなキャンプ場ではあった。
いつからテントを張っていたのか、今まで見たキャンプ場の中では一番ライダーの数も多かった。
何故そんな物があるのかよく分からない、屋根付きのステージの下などは、人の姿が多く見られ、宴会をやっている様子も見られた。だが、ライダーの数が多い分、夜の雨の中でテントの設営を始めるというマヌケな姿をさらすのは余計にイヤだったし、例えばステージの下での宴会に参加したとしても、笑いものにされるのがオチだと思えた。何よりも、設営するような気力は残っていなかった。
とりあえず、宗谷岬に到着するまでの間に見つけたライダーハウスで、空いているところがあれば泊まろう……と改めて決め、猿払のキャンプ場を後にした。

不本意な到達

やがて国道238号線は、海岸沿いから離れ、タイトなコーナーが続く山道に。天気が良くて気分も良ければ、ライダー心が疼く道だが、対向車のライトの乱反射にビクビクしているため、それどころではなかった。

確か……記憶はかなり曖昧だが、そんな山道を下りきった感じの所だったと思う。突如、視界が開け、いきなり「ここが宗谷岬です」という感じの場所に出た。
夜も夜、10時を過ぎている時間だったので、人気は無かったが、左手には仰々しく照明をつけた土産物屋が何軒か建ち並び、右手には駐車場など、如何にも観光スポット的な佇まいが見られた。右手側の闇の中に、宗谷岬の最北端地点があるのだろう。
この辺で最北端の景観を楽しみなさい、と言わんばかりに作ってある辺りの駐車場に、一旦バイクを停めて僕は思った。
「……な、なあんだ。もう着いたのか」
ここで思った『もう』というのは、時間が早かったと言うことではなく、何の心の準備もなく、気持ちの盛り上がりもないままに「日本最北端」に到着してしまったやるせない気持ちを意味している。
折角到着した最北端だというのに、何の感慨も達成感もありはしない。
「到着するなら、それに相応しい時間に、気持ちの準備も充分な状態で到着したかったなあ」と思ったが、仕方あるまい。悪いのは準備も装備も不十分だった自分だ。まあ、振り返ってみると、『決死の最北端到達』という雰囲気でなくは無かったが……。

得られた手がかり

ともあれ、こんな時間に、こんな悪天候に、最北端見物という気分には、さすがになれなかったので、僕は今日の宿を探すべく、再び単車を走らせた。

宗谷岬を離れ、少し行くと、セイコーマートを発見した。ここでなら、ライダーハウスに関する詳しい情報が得られるかも知れないし、この時間に泊めてもらえたとしても、ライダーハウスで食事がとれるとも限らないから、食料も調達しておいた方が良いだろう。
相変わらず、ヘルメットを取ろうとすると、日焼けした耳が痛む。歩くと、水槽のように水が溜まっていたブーツがグシュグシュと音を立てる。本当に気が滅入る。
水滴を滴らせながら、店内を散策し、とりあえずは煙草を購入すべくレジに並び、
「この辺に、ライダーハウスってありますか?」と、店員さんに聞いた。
「え、ああ、ありますよ。すぐ近くです。ここから稚内の方へ向かって左側に……」と、たじろぎながら店員さんは答えてくれた。恐らく、異様に日焼けした赤ら顔に疲労を漂わせ、雨水を滴らせている僕に、ただならぬものを感じたのであろう。
「そうですか。そこで……今から食事はとれるでしょうか?」と、一応聞くと、
「さあ……よく分かりませんけど、今からでは無理なんじゃないでしょうかねえ……」とのこと。やはりそうか。
「分かりました」と、とりあえず煙草代を払い、カップラーメンとおにぎりも追加して購入した。

意外な……ライダーハウス

買った物を荷物のネットに適当に挟み、単車を走らせると、店員さんが言ったとおり、すぐに看板が見つかった。もう11時になろうとしていた。
敷地に乗り入れてみると、少し様子がおかしい。この天気で宗谷岬の近くで、これだけデカデカと看板が出ているのに、単車が停まっていないのだ。予想では、もっとズラリと単車が並んでいて、ライダー達が繰り広げている宴会の声でも聞こえてきそうなもの……と思っていたのだが、敷地の奥の方にあるそれらしき建物は、明かりがついてはいるものの、ひっそりしている。
はて、どうしたものか……それより、今の時間に泊めて貰えるのだろうか……と、更に様子を伺っていると、隣の民家から人影が現れた。中年の女性のようだ。恐らくここの管理をされている、この民家の奥さんなのだろう。
「ライダーさん? 泊まるの?」
「はい。お願いします。今からでも大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。お風呂が使えて、泊まるだけだけど。1800円だけど、いい?」
正直言って、食事もナシで1800円とは、少々高い……と思ったが、これから先に泊まれる場所があるとは限らない。旅館やホテルならもっと高いだろうし、ここで手を打とう……というか、お願いですから泊めて下さい。
「ハイ。是非お願いします」

奥さんはガレージのシャッターを開け、単車を運び入れるように、僕に指示した。ガレージの中を見ると、単車が二台、オンロード仕様にしたオフロード車と、アメリカンの単車が停まっていた。
奥さんに料金を払うと、「濡れてるものとか、荷物は、積んだままにして置いていいけど、貴重品は部屋に持っていってね。朝は……適当でいいよ」と、つまりチェックアウトに特別決まった時間は無いよと説明してくれた。
「分かりました」と、返事をすると、ガレージの奥にあるドアから、樹脂製の黒縁の眼鏡をかけた男性が顔を出し、僕と目が合うと小さく頭を下げたので、僕も同じように会釈をした。僕と同じくらいのお歳に見えた。先客なのだろう。それにしても、本当に二台……つまり、二人しか泊まっていないのだろうか?
僕は、レインウエアだけ単車の上に広げておき、タンクバッグと先ほど調達した食料を持って、案内された部屋に入った。どうやら、本当に先客は二人だけのようだ。
正直なところ僕は、ライダーハウスに泊まる以上は、ライダーハウスでの宴会を期待していた。疲れていようと、ライダー同士でお酒を交えて話をすれば、楽しかろうと思っていたのだが……。
まあ、今日は、本当に疲れていたし、ゆっくり休める方が大事だ。寝返りも打てない雑魚寝よりは、今の僕には随分幸せかも知れない。

親切な先客のお二人

ライダーハウス238でご一緒したお二人。
ライダーハウス238でご一緒したお二人。楽しくお話しさせて貰った。

僕は、先客のお二人への挨拶もそこそこに、土間の辺りでブーツをひっくり返して置いたり、替えの靴下に履き替えたりなどして、とりあえず部屋に入れる状態になってから、ようやく入室した。
「こんばんは。宜しくお願いします」と挨拶をすると、お二方も同様に挨拶してくれた。
「もっと賑わっているかと思ってたでしょ?」と、出し抜けにニコニコしながら眼鏡の方。
ライダー宴会を期待していた僕は、心を見透かされたような気がしてギョッとしたが、「え、ええ。多少は……」と、正直に答え、「でも、一人寝るのがやっとのスペースしかない雑魚寝よりは、いいんじゃないでしょうか」と、苦笑いを交え、付け加えた。勿論それも本音だ。

眼鏡の方と、もう一人の長身で細身の方は、お知り合い……というか、仲の良いお友達のようであった。
「寒かったでしょ。今、ヒーターを入れますから、まずは暖まって下さい」と、親切に僕を迎えてくれた。
「ああ、有り難うございます。いやあ、ひどい天気で参りますね」
自然に話をしているが、今は8月だ。この辺りでは夏場でもヒーターが可動態勢にあり、使うことだってあるらしい。「夏でもストーブを使うことがある」とは聞いていたが、恐るべし北海道、恐るべし最北端である。

左の方が、オンロード仕様のオフロード車、右の方がアメリカンの単車が愛車であった。
左の方が、オンロード仕様のオフロード車、右の方がアメリカンの単車が愛車であった。
さすがにお腹もすいていたので、さっき購入したカップラーメンとおにぎりを取り出し、先客のお二人の会話を聞きながら、食事を摂った。
お二人は、関東北部から起こしだそうで、学生の頃からのご学友だったらしい。学年は僕と2つ違うが、誕生日の関係で、長身の方>眼鏡の方>僕と、その時点では一つづつ歳が違うものの、充分同世代。お二人とも良く日に焼けていて、実年齢よりもお若く見えた。
食事も済まされたようで、缶チューハイを傍らに乾き物などをつまみに、話をしていたようだ。

食事を摂っている僕を尻目に、お二人は会話を続けていたが、お二人の共通の友人の話をしているときなど、
「……のときに、○○がさあ……っていう□□業をやっている友達がいるんですけどね……、××するっていうのに△△しやがってさあ……」という風に、僕にも誰のことなのかを補足説明をしてくれるなど、非常に気を遣ってくれた。
同世代であるからなのか、単純にライダー同士だかなのか、知り合ったばかりの僕も、煙たがることなく会話の輪の中に入れてくれた。
話を聞いていると、本当に息のあった友人といった感じで、会話の内容も面白く、双方の風貌の差異も手伝って、漫才のコンビのようにも見えた。
話によるとお二人は、上陸の経路は同じだったものの、日本海側を北上してきたようで、高速づたいに旭川からサロマ湖経由で道北まで来た僕とは、逆回りのルートを選んできたようだった。
「何だか、僕らが雨を連れてきたような気がして、申し訳ない気分ですよ」と、眼鏡の方。
「いや、大丈夫です。逆回りできた僕も同じ気持ちでしたから」と、今年の北海道の異常気象ぶりをお話しておいた。
前述の通り、僕はそれほど待たされずにフェリーに乗ることが出来たが、余計に休みを取れなかったお二人は10時間ほど待たされたようで、その上雨に降られ、折角持ってきたのにまだ一度もテントを使っていないとのこと。大変な思いをしているのは、僕だけではなかったようだ。

食事を終え、本格的に会話の輪に入った僕に、「どの辺を回ってきたんですか?」と聞かれたので、
「最初に高速で、サロマ湖まで行って、その周辺で三泊しました」と、答えた。普通、ライダーさんたちは、余程のことが無い限り、連泊はしないものだ。恐らく「何故三泊も?」とお思いだろうと思った僕は、先に事情を説明した。
「実は、僕はスケッチ旅行に来ていまして……」
どうも、北海道へ来てからがどうだったかをしっかり話そうとすると、どうしても「スケッチしにきた」という部分を外して話せない。絵を見せびらかしたいという下心はないのだが、それを言った以上、言わないわけにもいかない。「まだ二枚しか描いていないんですが、ご覧になります?」
「ええ」「見せて下さい」と、お二人。
話の流れ上、そう切り出されれば「別に興味ない」「僕はいいです」と言うわけにもいかないだろう。
僕はスケッチブックを、運び込んでいた荷物から取りだし、お二人に疲労した。
「へえ、凄いですね」「おお、良く描けていますね」と、お二人。僕が取り出したものに、見た人はとりあえず驚く……。引き合いに出すには大袈裟すぎるかも知れないが、何だか水戸黄門のクライマックスシーンが頭に浮かんでしまう。
細身の方がパソコンをお持ちだと言うことで、メールアドレスやURLが書かれた例の名刺を取り出し、お二方にお渡しした。
折角賛辞を頂いたことだし……と思い、更に僕はJim Beamの瓶を取り出し、「宜しかったら召し上がりませんか?」と勧めてみたが、「バーボンのストレートはちょっと……」「普段は飲まなくもないけど、今日はいいです」と、遠慮されてしまった。確かに、バイクで旅をして人と知り合ったりする場合に、氷も割るものが手近にある事は少ないのだし、「人に勧めるうちに無くなってしまうだろう」と思って、750mlの瓶を買ったのは、ちょっと失敗だったかも知れないと思った。強がって飲んでいるつもりはないのだが、ストレートやロックでウイスキーを飲むのは、やはり少数派なんだなあ、と実感した。

と、言うわけで、おのおの手持ちのお酒を飲みながら、しばらくの間楽しくお話をした。
お二人のうち、この旅に誘ったのは眼鏡の方のほうで、ライダー歴も長く、「かっとぶわけではないけど、とにかく走るのが好き」とタイプのライダーさんだった。今回は本業と観光が半々くらいの旅行で来た僕だが、ライダーとしてのタイプは近いものがあったので、お話していて共感できる部分が多かった。
単車に乗るようになって、まだそれほど長くないと言う細身の方は、渓流などでの釣り歴は長いとかで、マントルを使わないが、明るさでは引けを取らないガスランタンや、折り畳むのも手間のないエアーマットなど、便利な道具を沢山お持ちで、キャンプ用具のこともお詳しかったので、非常に勉強になった。

やがて、もう寝ましょうという雰囲気になり、眼鏡の方を真ん中に、川の字になって寝る体勢に入った。
暫くの間、お二方は明日のルートのことなどを話し合っていたので、僕も自分の地図を取り出してルートの検討をしたが、酔いも回ってきていたので、とりあえずもう一度宗谷岬を見て、それからそのあとどうするかを考えようという、いい加減な結論に至った。
いよいよ寝ようかという事で、消灯し、その後間もなく、僕の反対側にいる細身の方の寝息が聞こえてきた。お疲れだったのだろう。
僕と眼鏡の方は、声を潜めてもうしばらく会話を続けた。絵など描いている知己が身近にいなかったためか、絵画や美術のことについて、僕に幾つか質問されたので、日本の美術界に対する憤懣や批判を織り交ぜながら、講釈を垂れてしまった。酔っていたんだなあ。(汗)
話を振ったのは向こう、みたいな感じで書いているが、ひょっとしたら僕の方が一方的に喋っていたかも知れないし、先に休まれた細身の方と同じくらいお疲れだったところを、気を遣って付き合って下さったのかも知れなかった。この辺り、疲労と酔いのせいで、とても記憶が危うい。
とにかく、最初から最後まで、もの凄く気を遣って貰ったのだけは、ハッキリと覚えているのだが……。
ひとしきり話も終わったところで、寝入った……と思うのだが、話の途中で僕が先に寝てしまったような気もする……。

戻って読む

次を読む

02年の旅行記のtopへ

旅行記のtopへ

美術館に戻る