便利に毒されし者の北海道おっちょこちょいスケッチ旅行・2002年

3枚目のスケッチ・その後……

15日・お昼前 桜岡湖のスケッチ

ユミカさんにしばしの別れを告げた僕は、しばしば沸き上がる後ろ髪引かれる思いをこらえ、桜岡湖沿いの道路へ乗り付け、周囲を見回してみた。
昨日思った通り、どこにでもある風情の湖である。周辺にはパークゴルフの施設があったり、公園があったりしていて、すっかり観光に魂を売り払った感じの湖という印象だが、前日の分でも書いたように、キャンプデビューの彼女を連れてくるとか、できるだけ便利なキャンプを希望する人なら、ピッタリの観光スポットと言えそうだ。苛烈なキャンプが続いたソロツーリングの後に、ワンクッション置くのにも良さそうだ。

ぐるりと見渡すと、湖沿いの道路があるのは、今自分がいる側だけで、向こう側は山林を中を抜ける遊歩道になっているようだ。
対岸からの眺望は水面とコンクリートの斜面……と、何か殺風景な感じがしそうなのは予想が付いた。その上、今回の場合は遊歩道をてくてく歩いて好ましい場所を探しているヒマは無さそうだ。ゆっくりと単車で走って「ここぞ」という場所を見つけるのが良さそうだ。

本当は、こんな風な妥協とか、無くて良いはずの制限の中で場所を探すようなことは、一切排除して場所を選びたかったのだが、天気が悪くて描ける日が少なかったし、天気が回復した日はたまたま移動日だったし、スケッチを描き始めるのに都合の良い午前中は、水辺ではあれ対象外である海沿いにいた。
結局、自然の表情である天気に全てをゆだねてスケッチしている以上、こちらはそれをご機嫌を伺いながら対処して行くしかない訳であって、スケッチ旅行に来て小品2枚しか描いていないとなると、こういう場所選びをしなくてはならないこともある。
愚痴っても仕方ないので、僕は目を光らせつつ速度を落として単車を走らせた。
……が、そのうち、最近描いている水辺の風景は「水辺ギリギリから」とこだわって描いていたのを、僕は思いだした。そういう観点からなら、条件を優先することによって場所を決められるかも知れない。
道路沿いの湖の周囲は、ずっとコンクリートの斜面が続いているが、先の方を見てみるとある程度の水面に近い所まで降りられるようになっているのが見えた。舗装もしていない平地から、コンクリートで舗装されたスロープが水面へと続いているのが分かる。
「よし、とりあえずあそこへ行こう!」

道路から、昨夜の霧雨で湿った赤土が剥き出しのスロープを15mほど降りると、車が数台は停められる平地が作られている。車が何台か停まっていて、道路より水辺に近くなっている水辺で、家族連れが釣りを楽しんでいる。何か釣れるんだろうか?
僕はさらに奥にある、水面へと続くスロープの近くに単車を……サイドスタンドがめり込んで単車が倒れないように大きめで平たい石の上にスタンドの接地面が来るようにして停め、目指す水辺ギリギリの場所へと降りてみた。

さすがにサロマ湖を描いたときのような、大自然に身を置いて……という感じは乏しいが、日差しもきつくないため、野外でのスケッチとしては非常に目が楽であって、純粋に描くという行為を楽しめた。
時折、強めの風が吹き、水面に好ましくない細波が立つこともあるが、曇天も含めて天候は安定していて、これまたスケッチには有り難い。僕の好みの水面の表情をじっくり観察することができ、F6号(42×32cm)の画面に気持ちよく筆を走らせた。
一枚目のスケッチほど寒くもないし、二枚目ほど照りつけもしない。楽チンなキャンプ場の近くで描くと、スケッチも楽チンなのだろうか……などと、下らないことを考えた。

見渡すと、スッキリしないグレーの空をバックに、山並みと鬱蒼とした森林とが緑色の塊となって色面を作り、水面との間に人工的で無表情なコンクリートの斜面が再びグレーのトーンを描いている。水面は微風に撫でられて、空のグレーと周囲の景色が移り混んだ暗い色とが、シャープな縞模様を作り、日本刀の刃紋を思わせるゆったりとした曲線を描いている。
僕が描きたい水面とは、細波でもなく、波一つなく鏡のように背景を映り込ませている様子でもなく、こういうゆったりとしつつも冴えた縞模様の出来た水面だったのだ。
水面を取り巻く要素にしても、「北海道らしい雰囲気」充分とは言えないものの、どんよりした空、鬱蒼とした針葉樹の森林は、少なくとも南国のものではない。
「ここだ! ここがいい!!」と、思いのほか苦労せずに場所は決まった。

そうして僕は、三時間弱に渡ってスケッチを続け、ほぼ目鼻が付いたところでスケッチブックを座っていたパイプ椅子に立てかけ、煙草に火をつけて、離れて見てみた。
短時間にしては積極的に色をのせ、主眼である水面も満足のいく出来になったのではないだろうか。
と、安心してしばらく「後はあそことあそこを……」などと考えていると、
「いい絵が出来ましたかね」
と、いつ現れたのか、先ほどから釣りの家族のお父さんとお話していた様子だった初老の男性から声をかけられた。
「はい。まずまずですね」と返事をすると、身なりや雰囲気からしてこの辺りにお住まいの方のようであった。東京からスケッチをしに来ている事などを話すと、
「いやあ、最近この辺も随分様子が変わったからねえ」とのこと。温泉が出る事が分かり、宿泊施設が建ち、キャンプ場も作られ、その他の遊歩道などの施設も続々と作られていった……と言うことだった。
「観光地になって、この辺りが開けてくるのは悪いことでは無いのでしょうけど、古くからこの辺にお住まいの方は、少々複雑な心境かも知れませんね」
僕がそういうと、初老の男性は苦笑いを浮かべた。

桜岡湖のスケッチ。。
桜岡湖のスケッチ。
この旅で初めてF6のスケッチブックに、僕としては気持ちよく描いた……が、ユミカさんの評は……。

「私も随分前にここへ来たんですが、変わったのに驚きました。私が来た頃は、この湖が出来たばかりで、他には何もないところでしたからね」と、釣りのお父さんが会話に加わってきた。
「そうでしたか。この湖は人造湖でしたか……」
思えば、僕の住むアパートから単車で30分程走った所にある多摩湖も人造湖で、何度も訪れた湖であり、桜岡湖を「どこにでもある」と思ったのは、多摩湖と近い雰囲気があったからかも知れない。
「そうだよ。昔はこの底に民家もあったんだよ」と、初老の男性は湖の真ん中辺を指さして言った。
「まったく、この辺も開けるのはいいんですけど、変わっていくとちょっと寂しい気もしますね。私は旭川(だったか?)から、たまに来るだけですけど」と、釣りのお父さんも「複雑な心境」を語った。
(ええっと……洞爺湖まで2時間くらいだとして、旭川からは1時間か……30分か。それくらいで訪れることの出来る場所なら、時折やってきて自然を楽しむのには良いのだろうな)と僕は思ったが、旭川からこの辺りまで、本当に1時間程度で着くのだろうか?
「あの……つかぬ事を伺いますが、ここから洞爺湖まではどれくらいかかりますか?」
お二人は僕から発せられた質問に意外そうな表情を見せたが、
「車で5~6時間はかかると思いますよ」と、お父さん。
「!! ご、5~6時間ですか?」
「ええ、バイクでもそれくらいはかかるでしょう。今日あっちまで行くんですか?」
「……そのつもりだったんですけど……ハハハ……」と、僕は青くなりつつも、笑って見せるしかなかった。

大変だ。時計を見ると、もう15時半になろうかとしている。2時間くらいで洞爺湖へ着くと思っているユミカさんは今、どこでどうしているだろうか。数時間もかかるとあっては、洞爺湖へ行くのを諦め、違う場所に荷物を降ろしている頃かも知れない。
土地勘のない者同士が地図も見ずにプランを練ると、こういうことになる……訳である。無論、どっちが悪いのでもない。
「ちょっと急いだ方が良さそうなので、絵を仕上げてここを去ります。有り難うございました」
僕は、お二方に挨拶をして、最高速で絵を仕上げ、これまでにないスピードで片付けとパッキングを済ませた。

午後:鬼神のライディング

「ああ、メールアドレスを聞いておいて良かった」と思いながら、僕は出発する前に、ユミカさん宛に《今、どこにいるんですか?》と短いメールを打った。ライダーである僕らが電話番号しか聞いていなかった場合、どちらもが単車を降りているときでないと通話は出来ない。メールを送れば、少なくともこちらの意思を伝えておくことは出来るわけである。
送信後、煙草を吸いながら返事を待ったが、なかなか返事は来ない。
考えてみれば、明るいうちにテントを張ろうと思ったら、そろそろキャンプ場を決めなくてはならないわけであって、まさに走行中である可能性は非常に高い。そうだとすれば、少々待ったとしても返事が来るはずがない。
「メールではあっても、ライディング中では即座に連絡が取れないのは同じであったか」と、僕は苛立った。
いっそのこと、電話を鳴らそうかと思ったが、万一ライディング中で、気を取られて事故でも起こそうものなら、これ以上の悲劇はない。まあ、ユミカさんに限ってそんなことは無いだろうが、避けるに越したことはない。

とりあえず予測したルート(青の点線)
とりあえず予測したルート(青の点線)

一度メールは送ってあるのだし、さっそく出発して、少しでもユミカさんとの距離を縮めておいた方が良さそうだが、果たしてユミカさんはどのルートでどこへ向かったのだろうか。
マップルを取り出して見ると、ユミカさんが見たいと言っていた「セブンスターの木」のある美瑛町は、剣淵町から国道40号に乗ってしばらく下ったところにある。見たいと言っていたとおり美瑛町へ行っていたとして、洞爺湖の方へ向かうとすると、旭川を抜けて富良野などの観光地を通過する国道237号を抜けて行くのが良さそうだ(地図参照)。僕と同じ程度の土地勘の持ち合わせしかないユミカさんなら、きっとこのルートを選んだに違いない。
確信した僕は、普通ならもう少しは吸う煙草を、携帯用吸い殻入れに押し込み、僕は単車にまたがって、発進させた。
「ユミカさん! 待ってて下さいね!!」
と、僕は豪快にスロットルを開けた。

40号から旭川を抜け、無事237号線に入った。旭川を抜けるときに少々渋滞していたが、急いでいた僕は、交通法規の範囲内で積極的にすり抜けをし、先を急いだ。
美瑛町、富良野市を抜け、237号線をひた走った。どちらも観光スポットがあり、僕もチラリとくらい「セブンスターの木」を見たかったし、富良野の観光地にも少々は関心があったのだが、それに構っている場合ではない。「晩ご飯は一緒に」と僕が言ったとおりに待っていてくれるとすれば、僕が遅れれば遅れるほど、ユミカさんはひもじい思いをするのだから。
富良野を抜けるまでの間に、再び渋滞していたが、バイクの特権であるすり抜けを交通法規の範囲内でガンガン敢行し、とにかく先を急いだ。

「疾走」の図。
「疾走」の図。写真はイメージです。
「疾走」の図。写真はイメージです。(2点とも'93頃撮影、バイクも1台前の愛車。撮影地:宮崎)

やがて日も傾いてきて、薄暗くなってきた。桜岡湖を出てから2時間近くは走っただろうか。
そういえば、この頃合いなら、ユミカさんもキャンプ場を見つけ、携帯電話に返事を送ってくれているだろう。
18時を回り、すでに閉まっている道の駅(どこだったかは失念)を見つけて単車を停め、メールチェックしてみた。
ユミカさんからメールが来ている。
《日高のキャンプ場にいるよ。今、そっちはどこ?》とのことだ。
「ぶっ、日高のキャンプ場じゃあ、どのキャンプ場だか分からないよ~」と思いながら、停まっている道の駅の場所をチェックして、《今、○○という所のようです。それより、日高のどこのキャンプ場ですか?》と、僕は返事を書いた。
地図を見ると、「日高」というところはまだまだ先だ。この分だと、到着するのは本格的な夜になってしまいそうだ。
返事を待っているわけにも行かないので、少しでも日高へ近づくべく、僕は再び国道を疾走した。
やがて237号線は峠道へと様相を変えた。街灯も少なくなり、傷が多くて視界の悪い僕のヘルメットのシールドで峠道を走るのは少々難があったが、それだって構ってはいられない。必要以上にユミカさんを待たせたくない。
「むおおおぉぉ」と雄叫びを上げながら、僕はステップを擦りそうなほど単車をバンクさせ(傾け)てコーナーを次々とクリアした。タイヤは悲鳴を上げ、マフラーからは炎が吹き出、タコメーターはレッドゾーンを指しっぱなし……と、鬼神のようなライディングを続けた。だが、不思議なことに鬼神のライディングは、全て法定速度内で行われた。

小一時間ほど走り、山を一つ越えた感じの頃、広い駐車場のある休憩所を見つけた僕は、トイレも兼ねてもう一度メールをチェックした。
メールが来ている。《○○からだと、もうちょっとかかるね~。分からなかったら誰かに道きいてね。あたしは風呂さいってくる》と、書かれている。ついさっき着いたメールのようだ。
「だから、どこのキャンプ場なのか分からないと道も聞きようがないよ~。何で一番大事な返事を書いてくれないんだあ!」僕は泣きそうになった。
そしてもう一つ、僕は大変なことに気がついた。携帯電話の電池が切れかかっているのだ。昨晩、ユミカさんと飲んだくれて充電しなかったせいだ。残量を示す電池のマークが、残り1/4くらいを示している。万が一電池が切れては、その後にユミカさんと連絡を取るのは非常に難しくなる。別れ別れになってしまう可能性が高くなる。そうなっては、何のために法定速度内で命を削るような思いをしてきたのか分からない。僕は、大いに焦った。

「疾走」の図。写真はイメージです。
「ステップ擦りそう」の図。乗っているのは若き日の僕。本当はもっともっと傾けないとステップは擦らないのだけど。('92頃撮影、バイクは上のより一台前の。撮影地:山梨……かなあ)
一刻も早く連絡を取りたいが、風呂に入られては、メールしても電話しても意思の疎通は図れない。携帯電話の電池が切れかかっているため、無駄に電話も出来ない。
結局、今僕に出来ることは、法定速度内で鬼神のライディングを続け、日高を目指すこと以外に無さそうだ。
「ユミカさん、もう少しで着きますからね!」と思いつつ、僕は再び単車を走らせた。

延々と続いた登りが終わり、やがて下りに……。山をもう一つ越えていくのが分かる。
山の中なので街灯はなく、視界が悪いが、次第にそれにも慣れてきた。僕はますます勢い込んで峠を攻めた。ヘルメットのシールドに、ペタペタと虫がぶつかって貼り付く。うっかりこれを拭うと、粘度の高い虫の体液でシールドが曇り、ますます視界が悪くなるので、貼り付くに任せてひた走った。
「高速道路を走っているわけでもなく、法定速度内で走っているのに、なぜこんなに虫が貼り付くのかなあ」と、僕は不思議に思った。

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