便利に毒されし者の北海道おっちょこちょいスケッチ旅行・2002年
このページは、画像が非常に少なく、少々読むのがしんどくなるかと思いますが、読む皆様に伝えたいこの旅行記の主旨にあたる内容が多く含まれています。どうかよろしくお付き合い下さい。

便利に毒されし者

8月17日・夜・藁にもすがる思い

『はい。むつ警察署です』
「あ、お忙しいところ恐れ入ります。お恥ずかしい話なのですが、山道で……国道338号線なのですが、ガス欠しまして……」と、僕は説明をした。藁にもすがる思いで僕がとった行動は、110番への電話だった。

僕の切なる祈りも虚しく、ガソリンはどこかの橋の途中で尽きてしまった。
周囲を包む闇よりも暗澹たる気分に襲われた僕は、単車を降りて押し始めた。

またもガス欠してしまうなんて……。
読んでいる皆さんも「こいつは本当にアホだなあ」とお思いだろうが、そう思った貴方以上に僕は自分のことをそう思っていた。この時の僕の落胆の大きさは、筆舌に尽くしがたかった。
疲労に加えて、激しい脱力感と闘いながら、僕は幾らか小降りになった雨の中を、単車を押して橋を渡りきった。

橋を渡りきると歩道があったので、単車を一旦停めて、歩道に佇み、僕はこの先どうするかを考えた。落胆ばかりもしていられない。
見回しても民家の明かりすら見えない山の中だ。歩道の脇は、林へと続く草地になっていて、テントを張れないこともない。だが、街灯も民家の明かりも無いような山の中の国道に、青森だから熊は出ないかも知れないが、危険な動物が出て来ないとも限らない。
しばらく歩けば、民家がみつかり、救いを乞うことは出来るかも知れないが、僕の求めるところは緊急避難の宿よりは、先へ進むためのガソリンの方だ。それに自分のドジのために他人様の手を患わせたくはない。
そのためにも先決なのは、ここが何処なのかを把握し、今とれる最良の策は何かを検討することだ。

暗がりの中、僕は地図を広げ、小型の懐中電灯でそれを照らした。懐中電灯は、夜中にテントを張るときにでもすぐに取り出せるよう、タンクバッグの中に入れてあったのだ。
全国地図の大雑把な情報では、細かい位置は分からないが、国道の交差しているところから20kmくらい……東通村あたりだろうか。八戸まではまだ100kmくらいはありそうだし、六ヶ所村や三沢市など、聞き覚えのある地名が国道338号線沿いに見られるが、歩いてそこまで行く頃には朝になっているだろうし、そこまで時間を費やすなら、ここで朝を待つ方が賢明だ。
どちらにしても、今夜ガソリンを補給してTカハシ君のいる水沢へ行くのは諦めるより無さそうだ。
伝えていたとおりの到着は無理だが、事故を起こしたりしたわけではないので心配は要らない……と、現状をTカハシ君に電話しなくては……ん? 電話?
「そうだ。110番してみよう!」僕は思い立った。幸いにも、携帯電話は電波を拾ってくれている。
こんな時に救いを求められる所があるとしたら警察であり、警察の仕事は人命の保護でもあるはずである。今僕が置かれている状況は、命が危ういとは言えないかも知れないが、道に迷った人が頼るのは交番、つまりは警察であり、僕が払っている税金の何%は警察でも使われているはずだから、今の僕が頼る資格は充分にあると思えた。
それに、「ヘイ、少々お待ちを!」とガソリンを持ってきてくれるようなことはないにせよ、開いているガソリンスタンドの有無や、朝まで待てば開く、ここから一番近いガソリンスタンドの位置は教えてもらえるかも知れない。
万一、「お門違いだ」と全く協力してくれなかったら、生還の暁には旅行記に「冷血非情! 腐敗した親方日の丸体質」とか糞味噌書いてやる!

……というわけで、電話でのやりとりは以下に続く。

本当の緊急事態に携帯電話

『ああ、そう。今君は何処にいるの?』50代に手が届こうかという感じの声の警察の方はまずそう聞いた。
「……国道338号線沿いの……東通村という辺りではないかと思うんですが……」
『うーん……。近くに補助標識とかはないか? 何か指示を出すにも、こちらが君がどこにいるかを正確に知る必要があるから』
「はあ……補助標識は見あたりません。あ、さっき橋を渡りましたけど」
『橋と言っても、幾らもあるからねえ。もう少しちょっと目印を探してみてくれないか。何か見つかったら、ここの直通の番号を教えるから、そっちにかけなさい』
「……分かりました。ちょっと何か無いか探してみます」
『じゃあ、番号は……』
と、僕はここで少々慌てた。オロロンロードでガス欠したときも、サッと取り出せるところにメモ帳も筆記用具も持っていなくて、どうメモを取ったらよいか困ったのだ。が……。
(そうだ、携帯電話にメモを取ればいいんだ)と気づいた僕は、警察の方の言う、3組の数字を、聞くたびに携帯電話に打ち込んだ。通話中でも、番号を押しておけば、携帯が覚えていてくれるので、間違える心配はない。
「……の……の……ですね。分かりました。有り難うございます」
『? なんか、その電話、時々途切れるね。大丈夫なの? それから、一応君の名前と電話番号も教えてくれるか』
「いえ、携帯電話に番号を控えていたもので……済みませんでした。こちらの番号は090の……」
携帯電話に打ち込んでいる間は、受話器から耳を離さなくてはならず、返事が出来なくなってしまうので、電波が途切れているのかと思われてしまったようだ。やはり、こう言うときのために、メモを取る道具は常に携行するべきだなあと、僕は改めて思った。

不幸中の幸いの目印

僕の携帯電話の番号を伝え、お礼を言って一旦電話を切ったのち、僕は周囲を探索し始めた。
僕が単車を停めたところから100mも行くと、左手に下り坂があった。正面に続く国道は、真っ直ぐに伸び、闇へと消えている。何かあるとしたら下り坂の方ではないだろうか。坂を下っていくと、
「あ! 看板が……」
黄色い貝殻のマークがついた縦長の小さい看板が電柱に取り付けられている。懐中電灯で照らすと、『↑200m」と書かれている。
この先にガソリンスタンドがあるらしい。ガソリンスタンドならここの地名が店の名前になっているかも知れないし、そうでなくても住所が書かれているかもしれない。僕は少々安心した。
それにしても、一番近くにある、場所を特定できそうな目印がガソリンスタンドとは、不幸中の幸いだ。

坂を下りきった辺りにガソリンスタンドはあった。僕が下ってきた道路の右にガソリンスタンドがあり、向かいの左側には警備会社の物らしきプレハブが建っていて明かりがともっている。そのまた手前や、その先にも民家や自動販売機などが見える。
ガソリンスタンドは丁字路の角にあたり、そこを曲がっていくとさらに民家が並んでいる。どうやら僕が居たところは、大慌てするほど人里離れた山奥というわけではなかったらしい。
ガソリンスタンドの様子をよく見ると「二本柳石油」と書かれている。二本柳というのがこのあたりの地名なのだろうか。とりあえず、この近くに居る方が良さそうだと思った僕は、単車をとりに戻り、下り坂を利用してガソリンスタンドの脇まで空走させた。

驚愕のアドバイス

そして僕は、携帯電話を取り出し、さっき聞いた番号に電話をかけた。
「さきほど、電話をした……ガス欠で困っている者なのですが……」
『ああ、さっきの人か。何か見つかった?』
「はい。たまたまガソリンスタンドが近くに見つかりまして、二本柳石油……というスタンドのようですが、どうでしょうか」
『二本柳……ね。ちょっと待って。今、その辺に詳しい者がいるかどうか、ちょっと聞いてみる』
「お願いします」
110番なんて、近所の交番とかにつながるのかと思ったら、夜でも人がいる警察署につながるんだなあ……などと思いながらしばらく待つと、
『ええっとね、君のいるところは二本柳というところみたいだ。さっきの国道に戻って2kmくらい先へ行くと、消防署がある。誰かいるとは思うから、行ってみたら何かアドバイスをもらえるかも知れない。それから……ガソリンスタンドの角を入ったちょっと先に、旅館がある。こんな時間だけど、泊まれるかどうか聞くだけ聞いてみたらどうかな』
「なるほど。当たってみます」
『それから、君はひょっとすると、北海道からの帰りか?』
「……そうですがそれが何か?」
『じゃあ、テント持ってるでしょ?』
「はあ、ありますが……」僕は、まさかと思ったが、
『もし旅館がダメだったら、場所を見つけてテントを張って泊まりなさい』と、予想した通りとはいえ、耳を疑いたくなるようなことを警察の方は言った。この辺りがおおらかな風土なのか、よくあることなのか、こちらも覚悟はあったものの、警察の方からそんな指示を頂くとは夢にも思わなかった。
「……分かりました。有り難うございました」と僕が言うと、警察の方は、また何かあったら電話しなさいと言って電話を切った。

ガソリンスタンドと警備会社のプレハブと

このとき徘徊したエリアのイメージ図。
このとき徘徊したエリアのイメージ図。記憶だけがたよりで作成したので、正確さは保障できません。

それにしても、情報や指示を得られたものの、今ひとつ救われたという感覚に乏しい内容である。
2km先だという消防署は、歩いていけば30~40分はかかるだろう。行ってみて誰かが居たとして、同情を買われるだけだったとしたら、時間と体力の浪費だ。こっちはできれば最後の手段にしたい。
まず先に旅館を……と思った僕は、ガソリンスタンドの角を曲がって旅館を探してみた。
旅館はスタンドのちょっと先に見つかったが、ほとんどの明かりは消され、ひっそりしている。腕時計を見るともう0時になろうとしているし、受け付けも何も終了しているのだろう。何とか泊めてもらえないかと思ったが、この深夜に大声で人を呼ぶのは非常識というものだ。

さて、どうしたものか……。
振り返って来た方を見ると、ガソリンスタンドのはす向かいのプレハブに、明かりがともっているのが目に映った。
「あそこにもし人がいるなら、ご近所である旅館の電話番号が分かるかも知れない」
そう思った僕は、プレハブに近寄り様子をうかがった。こんな時間に電話も常識的とは言えないが、試せる可能性は試しておきたい。
プレハブの中はしんとしていて、人がいる気配は感じられない。人が居て起きていたとしても、これまた非常識な時間の訪問だが、明かりがついていて、警備会社の人であれば、寝ていることはないように思えたし、民家を訪問するよりはいくらか迷惑ではないような気もしたのだ。

「夜分に恐れ入ります……。ちょっと伺いたいことがあるんですが」
ノックをしてアルミサッシの引き戸を開けてみると、警備員さんが一人、入り口からすぐの机にいらっしゃった。
その二階建てのプレハブの中は、警備員さんが居た机以外に、目立った家具のような物はなく、奥の方にちょっとしたキッチンがあり、カーペットが敷かれた壁際の床には、仮眠用とおぼしき毛布や枕が置かれていた。
警備員さんは僕よりもちょっと年上に見える、よく日焼けした男性だった。 「はい。何でしょうか?」怪訝そうな顔をしつつも、警備員さんは話に応じてくれた。小雨の降る深夜、ビショビショの合羽姿に疲れた顔をしてやってきた男を見て、何かトラブルがあったことを察して下さったのかも知れない。

「お恥ずかしい話なのですが……」と事情を話したのち、「できればすぐ先の旅館に泊まりたいのですが、人の気配がないので、電話番号をご存じないかと思いまして……」と、僕は丁重に伺ってみた。
「番号は分かりませんけど、タウンページがありますから、それに載っていると思いますよ。ちょっと待って下さい……」と、警備員さんはご丁寧にもタウンページを開き、調べて下さった。
「ほら、ここに出ているのがそうですね」と、タウンページを僕の前に広げ、見つけだした電話番号を指さした上に、傍らにあった電話機の受話器を差し出して下さる。
「有り難うございます。お借りします」携帯電話の電池も切れかかっていたので、ご好意に甘えて電話を借り、旅館へ電話してみる。
『はい、もしもしぃ』と、「こんな時間にどこのどいつだよ」という顔をしているのが伺えそうな口調で、50~60代くらいかと思われる男性の声。
「夜分に本当に恐縮なのですが、このすぐ近くでガス欠して身動きがとれなくなりまして、泊めていただければと思ったのですが、受け付けして頂けないでしょうか?」
『ああ、うちは今日はもう終わりだよ』と、ぶっきらぼうなお答え。
「そうですか。では何か方法を考えます。失礼しました」と、僕は電話を切った。こんな時間なのだから無理もないけど、客になろうとしている相手なのだからもう少しデリカシーがあってもいいのに……と、僕は勝手なことを考えた。
「やはりダメでした」僕は警備員さんに苦笑して見せた。
「あ、そういえば……」と、唐突に警備員さん。
「? 何か?」

光明・そしてもう一度テント泊

「明日は日曜日だから向かいのスタンドは休みだなあ」
「え"! そうなのですか?」つまり、ここで一晩明かしたとしても、明日は給油できないと言うことか? そうなってしまっては、19日の月曜日の出勤にすら影響が出てしまうではないか!
「この辺りはそうなんですよ。あ、この辺に車のトラブルに24時間対処してくれる業者があるから、そこを当たってみてはどうです?」と、警備員さんはまたもタウンページを手にとって番号を探して下さる。Rさんが言っていた、『その土地で育った人間が客人に親切なのはどこでも同じ』という言葉が頭を過ぎる。
再び警備員さんはタウンページを僕の前へ。これ以上ご好意に甘えるわけには……と思った僕は、電池が切れるのを覚悟の上で、自分の携帯電話から業者へ電話をかけた。
『はい、もしもし』と、これまた50代は過ぎているのではないかという、威圧感のある声の男性が電話を取った。
「あの……二本柳という所でガス欠してしまいまして……。単車なのですが、何とかご対処頂けないでしょうか?」
僕はうわずった声で言ったが、
『バイクかあ。ウチは車だけなんだよねえ』とのお返事。
ぐっ、やはりそうか。しかし、けんもほろろ……である。昨日までいた北海道とはエラい違い……いや、そんなことを言ってはいけない。実際、僕の目の前にいる警備員さんはとても親切じゃあないか。
「そうですよね。夜分にどうも失礼しました」
と、僕は詫びを言い、電話を切ろうかと思ったが、
『二本柳なら、ガソリンスタンドがあるだろ。そこの(経営者の)ウチの電話番号を教えるから、そっちに電話してみてよ。明日は休みだろうけど、何とかしてくれるかも知れないよ』

ああっと、口調とは対照的にご親切な……。にわかに、僕の脳裏に光明が差した。
僕は、様子を見ていた警備員さんに、メモ用紙と筆記用具が必要です、とジェスチャーでお願いし、番号を控えた。さっきみたいに電波が途切れたと誤解されて、電話を切られては困ると思ったので、またも厚かましいお願いをしてしまった。
「有り難うございます。スタンドが明日休みと聞いて、困っていたんです」
業者樣は番号を伝えたのち、電話を切った。警備員さんが差し出してくれたメモ用紙に番号を控えた僕は、もう一度お礼を言い、携帯電話を持ったまま頭を下げた。
遅い時間の電話であることを承知の僕は、警備員さんへのお礼もそこそこに、急いでガソリンスタンドの経営者さんへ電話をかけた。
「夜分大変恐れ入ります。実は……」一晩にして何度目だろうか……という感じで、事情を説明したのち、「何時でも構いません。どうか給油をさせていただけないでしょうか?」と、僕は懇願した。
『分かりました。じゃあ、明日6時にスタンドの方へ行きます。その頃でいいですか?』と、経営者さんは快諾して下さった。何と有り難い話だろう。
「有り難うございます。本当に助かります。明朝6時に(スタンドの)前で待っておりますので、どうかよろしくお願いします!」そういい、僕は電話を切った。
直後に僕は、警備員さんに向き直り、
「助かりました! どうも有り難うございました」と、深々と頭を下げてお礼を言った。

「よかったですね」という表情で笑っていた警備員さんに、僕はもう一つ言わなくてはならないことがあった。
「あの……そこの空き地は、こちらの会社の所有地なのでしょうか?」
「一応そうなってますね」
「そうですか。明日、給油する朝6時くらいまでの間、テントを張らせて貰うわけにはいきませんでしょうか?」僕は、これが最後ですから……と、許しを請うた。
「ああ、いいんじゃないですかね。奥に車が停まってますから、その邪魔にならないところなら……」
「有り難うございます。本当に助かりました。いろいろお世話になりました」と、僕はペコペコと頭を下げた。もう一度僕は、「土地の人間が親切なのは……」というRさんの言葉を思い出した。
プレハブを出る前にもう一度振り返って頭を下げた僕は、単車を停めたところへ戻り、テントを張る準備を始めようとした。
あっと、もう一つしておかなくてはならないことが……。
「夜分恐れ入りますが、Tカハシさんのお宅でしょうか?」
『おお、電話待っていたよ。今どこなの?』
「いやあ、実はガス欠してね。明日の早朝にならないと給油できなくて……」と、ようやく僕はTカハシ君へ電話をし、翌昼頃の到着となる旨を伝えた。携帯電話の電池もどうにかもってくれた。

その後僕は、単車から荷物を下ろし始めた。まさか、もう一度……しかも、北海道を離れてからテントを張ることになろうとは……そう思うと、また気分が暗くなった。

深夜の幕営と反省

奥が警備会社の駐車場になっているらしき空き地は、警備員さんのいたプレハブと、民家の間にあった。道路に面した辺りは草地になっていて、ここにテントを張れば寝入った後に大雨になっても、それほど浸水はしなそうだ。だが、あまり目立つところにテントを張っても、事情を知らない近所の方や、交代にやってきた警備会社の方に、怒られたり通報されたりするかも知れない。警察の方にそうしなさいと勧められた事ではあっても、どこの誰とも分からないヤツがテントを張っていたら、余りよい気持ちはしないだろう。
でも、目立たない辺りは駐車場になっていて車の出入りの邪魔にならないとも限らないし、砂利が敷いてあったりなどして、テントを張るには整地が必要だ。この暗い中で整地はちょっとやりづらい。
「ここに張らせていただこう……」と、僕は草地の上にテントを張ることにした。花が咲いているわけでもないし、近所の方が大切に育てているというものでもないだろう。一晩テントを張ったからといって、枯れてしまうこともないだろう……。
大きな石が無いかを確かめる程度にして場所を選び、なるべく物音がしないようにテントを張った。空き地の隣の民家からは、電灯の明かりが漏れている。住人の方が起きていようと寝ていようと、ペグをハンマーで打ち込むわけにはいかないので、この旅で何度かやったようにして、踵でペグを突き刺して設営を終えた。
荷物を運び込み、濡れた合羽を脱ぎ、どうにか残っていたTシャツに着替えた。寝袋を広げ、広げたロールマットの上に敷き、潜り込む……。やっていることはキャンプの時のテント泊と同じだが、随分と気分が違う。三里浜のキャンプ場でも、似たような気分になった気がするが、もっとひどい気分だ。

何故こんな事になってしまったのだろうか。
旅も終わろうとしているというのに、どうしてまたこんなに他人樣に迷惑をかけ、お世話になってしまったのだろうか。

振り返ってみると、フェリーに乗る前に給油をしておかなかったのが、最大の失敗だったと言えるだろう。
でも、青森の港から高速に入るまでは、ほんのちょっとの距離。高速に乗って間もなく行けばガソリンが切れる前にS.A.で給油できて、事なきを得られたはずだ。
だがそれは、青森行きに乗った場合の話。大間に着いても同じようにすぐに給油できると思っていたのは確かに浅はかだったと言えるかもしれないが、それは土地勘も何もない僕には知る由もなかったことだし、フェリーが到着する時間帯に、その近くにあるガソリンスタンドが閉まっているなんて、とても想像できなかった。
そう考えると、大間行きを選んだのも失敗だったと言えるだろう。
でも、どうして大間行きを選んだのかというと、一刻も早くTカハシ君のいる水沢市へ到着したかったからだ。北海道へのスケッチ旅行に、友人の実家訪問まで盛り込み、多くを望みすぎたのは良くなかったのかも知れないが、700kmという高速道路でのハードな長距離走行にワンクッション置くという目的もあったわけだから、必要性は充分にあったし、Tカハシ君に旅での事を真っ先に話したいと思ってもいたから、やはり僕は大間行きを選んでいたと思う。

だが、今にして思えば、大間に到着してからとった行動についても、反省すべき点は大きい。
さっきコンビニエンスストアに立ち寄ったときに、「この辺に給油できるところはありませんか?」と、何故聞かなかったのか。店員さんに聞きそびれたにしても、駐車場に居た3人組のライダーさんたちに話しかけていれば、何か情報を得られたかもしれない。
では、何故それをしなかったかというと、先に書いた通り、疲れていてその気になれなかったという事もあったし、これ以上他人樣の世話になりたくないという妙な意地みたいなものもあったと思う。
だが、そんな事情のために、得るべき情報を得られず、結果としてより多くの人に余分な手間を随分かけてしまった。これでは本末転倒というものだ。
そして、むつ市へ向かわなかったのも、大きな失敗だった。前述の電話での会話の中では割愛したが、警察の方が言うには、むつ市へ行けば、11時頃までやっているガソリンスタンドがあったのだそうだ。もし「給油が先決」と冷静に判断できていれば、給油できる可能性が高いのは「むつ市街地はこっち」と書かれた補助標識に従って、297号線を選択したはずだった。
だが僕は、距離では最短である338号線を選択してしまった。次の目的地の到着を急ぐ余り、到着そのものにも必要な給油を二の次にしてしまった。これもまた本末転倒であった。
この2つの本末転倒がなければ、他のことはさておいても、僕は今頃高速に乗り、水沢へ向かっていたことだろう。

便利ということ

こうして事情を検証していくと、疲労や降り出した雨に動揺して、冷静な判断力を失ってしまい、ちょっとした失敗や計算違いが作用し合い、こんな結果になってしまったと言うことになるだろうか。
僕のような無策無計画でおっちょこちょいな男が、この時期にフェリーの予約も取らずに行き当たりばったりな旅行を試みて、トラブル一つなく済む方がおかしい……ということになるのだろう。
これが、僕が普段生活している首都圏ならば、都市部の便利さ……例えば、20kmも行けば1つくらいは24時間営業のガソリンスタンドはあるし、国道や幹線道路を走っていれば、数km走るうちに何軒ものファミリーレストランを見つけることが出来るし、単車がトラブルを起こしたとしても、タクシーやその他の交通機関を利用すれば、必ず半日以内にバイク屋さんへ行くことも出来る。
いつだって給油できるし、いつだって雨露をしのげ、休養をとれ、単車のトラブルには対処できる。それが都市部の便利さであり、それが日常だった。
そんな日常の中においては、僕の生来のルーズさやおっちょこちょいや無計画さをもってしてもエラい目に遭うことは滅多にない。だから、都会の便利さに任せて、のほほんとしていられる。要するに自分の至らないところを、便利に助けられていたのだ。

「ああ、やはり僕は便利に毒されていたのだな」

僕はそう思った。

この旅行記の中で、僕は時折「便利や不便」について触れながら、書き進めてきた。本当はもっとしつこくと触れようと思いつつも、あまり触れられなかったが、雨の降る中に函館を出て、一息入れたかったファミリーレストランが見つからなくて「不便」を感じたのを初めとして、初めて来た土地で、キャンプを繰り返しながら「不便」を経験して来たはずだった。
「不便を知り、日常の便利を有り難さを知る」というのも、今のご時世のキャンプの一つの目的なのかも知れないが、それらはちっとも薬になっていなかったようだ。
ただ、これまで書いたことは、北海道や青森のことを「不便」な所と言って揶揄しているのではないことハッキリ言っておきたい。
十数年住んでいる東京、または関東の「便利」が過剰すぎるのだ。僕の生まれ育った鹿児島も、関東から比べれば「不便」と言えるし、そんな僕には異常さすら感じる「便利」に、僕が毒されていたから感じる「不便」なのだ。勿論東京の便利が、全く無意味とも思ってはいないのだけれど。

そんな東京に住む僕は、日常から「便利と不便」のバランスについてはよく思いをめぐらせているつもりだった。でもそれは、電子レンジは買わない、洗濯機は二層式……とその程度のことだが、便利に浸ることを避けたいとは思っていたのだ。
僕が今回の旅行のメインに据えているスケッチという行為も、絵画とか芸術ということを切り離して「記録」と考えれば、本当に時間と手間のかかる「不便」な方法だ。旅行記を書こうとして「こんな風景でした」と言いたかったのなら、持っていたデジカメでバシバシ写真を撮れば良いのだから。

……と、スケッチと不便とを結びつけるのは我ながら少々強引だが、浸ろうと思えばドップリと浸ることも出来る便利な世の中で、敢えて不便を選択することに、何かしらの意味が生じる……そう僕は思っていたはずだった。ところがこの体たらく……。本当に情けない。
無計画なまま思いつきで行動をとり、妙な意地を張ってにっちもさっちも行かなくなり、挙げ句の果てに、他人樣の手を煩わせ、現代の便利の象徴とでもある携帯電話を使って、何とか危機を切り抜けた。これが「便利に毒された者」の姿でなくて何であろうか。その携帯電話にしても、持つようになって半年も経っていないというのに……。

と、考えるだけ考えると、やがて睡魔が襲ってきた。この心労と疲労なら当然だ。夕食を、フェリーに乗る前に比較的しっかり取っていた(海鮮丼、1500円、写真無し)のだけが救いだっただろうか。
人間の移動の基準を徒歩と考えれば、車よりは不便な単車も便利なものだ。でも、ガソリンが無くなれば無用の長物……。人間の基本的な能力だけでは何もできないこともあるのだ……とも思った。そうなっても困らないように、「知恵」や「計画」で備えるのが人間と言うもの……って、もういい。考えるな。書く方も読む方もしんどいぞ。
寝入る前に、剣淵のキャンプ場で「この幸福感を持ったまま旅行を終えられるのだろうか」などと思ったことを思い出し、苦笑する僕であった。

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