13日の金曜美術館

書庫

電車の中で読む本

その2.モデルさん探しにおける苦悩

 モデルさんを頼むにあたっての苦労話などについて書く。「あいつは、とっかえひっかえモデルさんを次から次へとと頼んでいる」と、いかにも簡単に見つけているように思われているところがあるようなので、ちゃんと苦労して努力してモデルさんを見つけているということをここに表明したいという訳である。僕だってモデルさんが見つからず、悲しさや情けなさの余り枕を濡らす夜が幾晩もあったのだ。

 それでは、今に至までがどんな風であったかについて触れておこう。以下は、個展のためのモデルさんをお願いするまでの、モデルさんとの関わりを述べるものである。

 高校1年の時に、県美展(県が主催する絵画や彫刻のコンクール、対象は一般)というのがあり、それに向けて50号の油絵を描こうとしてモデルさんを頼んだ。それが初めてのモデルさんとの関わりだった。
 このときは、クラスの中で内心可愛いと思っていた女の子から順に、殆ど全ての女の子に声をかけたが、結局全員に断わられてしまった。僕の通っていた高校は、県内でも苛烈な進学校として通っていたところで、毎日山のように宿題が出ていたので、それを考えると、そう簡単に引き受けてもらえるようには思っていなかったが、他に部員の出入りもある美術室で描くのだし、そういうことに関心のある人もいない訳ではなかろうと思っていたので、きっと上から何人目かが引き受けてくれるだろうと思って次々と声をかけたのだ。ところがこれが甘かった。美術部員の中にも女の子はお忙しい先輩が一人いるだけで、その先輩に頼むわけにもいかなかったし、初回から少しも思うに任せない状況であった。
 見るに見かねて、という感じで、同じクラスの合唱部の女の子が、二度目に頼んだときにようやく引き受けてくれた。
 お陰で、その作品は高校生にして初出品で入選することができた。

 その翌年、高校美術展(県内の高校生が対象のコンクール)というのがあり、このときもモデルさんを描いて出品することにした。昨年の県美展での実績が、ある程度校内にも知れ渡っていたので、今度は結構簡単にモデルさんが見つかるだろうと思っていたら、またしても、ああまたしても同じクラスの中に引き受けてくれる女の子はいなかった。
自分の甘さを呪いつつも、ここで引き下がれるかと思い、生物の授業で一緒の女の子で、僕が思うに隣のクラスで一番目か二番目に可愛いと思っていた娘に声をかけたところ、これが何としたことか「ああ、いいよー」と簡単に引き受けてくれたのである。生きていてよかったと思った。
 このときの作品の方は、可愛いモデルさんを前に緊張しすぎたためか、出来は今ひとつであった。

 などと、同じ様なことを繰り返しながら、高校の3年間のうちに油絵に描いたモデルさんは4人に登り、ピンチヒッターや、途中で都合がつかなくなった人や、ちょこちょこっとデッサンさせてもらった人まで含めると、十人近くのモデルさんと関わりをもったことになる。我ながら高校生にしてはたいした数だと思う。まあ、断られてもくじけずに、何とかモデルさんを見つけようと苦労した甲斐あっての事である。

 大学に入って、初めて個人的にモデルさんをお願いしたのは、一年の夏課題のときだった。
 帰省した折に、高校二年生になる友人の妹さんにお願いしたのである。わざわざ友達のうちへ画材をもっておしかけ、描かせてもらうことになった。
 その友人のお父上が、お若い頃に絵の道を志しておられたということで、「嫁入り前の娘を貴様なんかに」とお怒りだったのか、途中まで描いてあった作品を前に、色々と厳しい批判やご指導を賜ったが、それはそれとして夏課題としての評価も、自分自身の手応えとしても、上々なものになったという実感はあった。

 二年生の頃の夏課題のときも、帰省したときに誰かモデルさんを見つけて描こうと思い、近所に住む同級生の女の子たちに目星をつけた。
 その結果、引き受けてくれたのは、小学校から高校まで同じ学校だった女の子であったのだが、実をいうとその娘は、実質的な僕の初恋の女の子であったのである。
 家もそう遠くなかったし、僕が高校の頃、熱心に絵を描いていたのを知っていてくれた筈で、頼みやすかったから頼んでみたのだが、気持ちよく引き受けてもらえたのであった。別に妙な下心はなかったつもりである。
 そのころ僕は車の免許もなかったし、近いとはいえ、わざわざうちへ来てもらうのも気が引けたので、またしても僕がお邪魔して描かせてもらうことになったのである。
 相手が相手だったので、このときはそれまでとはちょっと違う緊張の仕方をしていた。それも、同じクラスだったのは幼い恋心を燃え上がらせていた小学校の四年生の頃だけであって、中学と高校ではろくに口を聞く機会もなかったので、そのときになって何の話をしたものか見当もつかなかったのだ。
 二日間にわたってお邪魔し、昔話に話を咲かせりなどしたものの、久しぶりに話をしてみると、なんだか初恋の頃の面影はすっかり薄れていて、かすかな幻滅と時の流れを感じずにいられなかった。
 制作中、その娘のお母様が「またですか?」と言いたくなるくらい繁く様子を見に来られた。娘に身の危険はないかと心配しておられるのかと思ったが、どうやら本人以上に娘がモデルをしていることを喜んでおられたようであった。多分。

 そして大学も後半、三年生になり、モデルさんを部屋に招く日が、とうとう僕にもやってきた。
 ムサ美の芸祭(ムサ美では文化祭をそう呼んでいた)の展示に出品するためのモデルさんであった。
 それよりもちょっと前、映画研究会に入っている女の子の友達に、その子の出演している映画の撮影風景を納めた写真を見せてもらっているときに、僕の創作意欲を激しく揺さぶるタイプの女の子が写っているのをみた。僕はすかさず「うわー、綺麗な人だね! こんな人をモデルに頼めたら幸せだなー」と、素直な感想をいったところ、映研の女の子が、写真の美人に話を通してくれ、実現の運びとなったのである。有り難い話であり、言ってみるものである。

 しかし、そのときは喜べることばかりではなかった。それまでのようにモデルさんを描くのとは状況が全く違うのだ。うちでモデルさんにポーズをとってもらうためのノウハウなんて、そのときの僕には全くなかったのだから無理もない。お茶請けは何がいいのかとか、休憩の時にどんな話をしたらいいのかとか、それよりもうちみたいに小汚いアパートに、あんな美人を招いていいのだろうか、など、思いつくことの全てが不安材料となっているほどであった。
 そこで不安のあまり、おんぶにだっこを承知で、一回目のポーズだけは、モデルさんを紹介してくれた映研の女の子に立ち会ってもらうことになった。
 当日の僕はというと、映研の女の子の助けを借りつつも、緊張しまくっていて、話もしどろもどろな上に支離滅裂で、自分でも何を言いたいのかわからないようなことを話したりしていた。モデルさんの方も、僕のことを「この人大丈夫かしら」と思ったことだったろう。

 二回目のポーズの時はいくらか落ち着いた接し方ができたように思うが、それでも会話の間が空くと心拍数が急激に上昇し、意味不明な質問や話題を切り出したりするなど、今思い返してもモデルさんに申し訳なかったなーと、思うことしきりな状況であった。
 このときの作品は、モデルさんがうちから遠いところに(横浜)住んでいたのと、僕が芸祭の係もやっていて、思うように時間をとれなかったことなどの事情で、ポーズ2回で終えることとなったが、もともと時間も足りなかったうえに、極度の緊張下でまともな制作ができるわけもなく、僕のモデルさんをお願いした作品の中では最低の出来となった。

 と、モデルさんを呼びまくって制作をしているように思われているであろう僕も、初めての時はそんな風だった。そうした失敗から、種々のノウハウを築き上げ、今に至っているのである。

 ざっと、モデルさんとの関わって制作をするようになった初期の様子はこんな風である。それなりに苦労し、失敗もしているのがそれなりに分かってもらえたと思う。
 こうして、過去を振り返ってみると、絵の技量もさることながら、モデルさんとの関わり方もギクシャクしていて、未熟だったんだなあ、と思う。そして、そう思う今は、それなりの進歩は(これでも)したんだなあ、と思ってみたりもする。

 ところで、モデルさんを見つける難しさについては、先にふれたとおりだが、ではどうすれば現在のように多人数のモデルさんを見つけ、描くことができるのかについて書いてみよう。
 案外この辺が、モデルさんを頼んで描いている絵描きの個展に来た人の、最も聞きたいことの一つではないかと思うのだがどうだろう。

 僕の場合、一番多いのはモデルさんのお友達を紹介してもらうというパターンである。
 例えば、3人別々な系統でモデルさんを見つけたとして、それぞれのモデルさんたちに1人ずつ新しいモデルさんを紹介してもらうことができたならば、モデルさんの数は合計6人になる。
 一応、そのモデルさんが『身の危険』という点で無事ポーズが終わったとしたら、とりあえず信用ができる。そうなれば、紹介するモデルさんも、引き受ける新しいモデルさんも、抵抗感はずっと少なくなるので、モデルさんの輪は広がりやすい。
 そして、新しいモデルさんに、またお友達を紹介してもらう。場合によっては、紹介できるお友達がいないモデルさんもいるが、2人、3人と紹介してくれるモデルさんもいたりする。これを繰り返していけば、あっという間に大金持ち…ではなく、今回の個展で見つけだした15人のモデルさんも、非現実的な人数ではなかったわけである。
 形はネズミ講のようだが、僕は『テレフォン・ショッキング方式』と呼んでいる方法である。

 ただし、これが通用するのも、最初に来るモデルさんが見つかっていればこその話である。新規にモデルさんを見つけるのは、やはり難しいのだ。
 バイト先などで声をかけるにしても、真面目に働いて職場での信用を築いて、頼みたいモデルさんに「この人なら描いてもらっても大丈夫」と思ってもらえるようにしなくてはならないし、真面目にやっているからといっても、融通の利かない堅物とまで思われては、頼まれる側もうんとはいいにくくなる。いくら頑張っても、予測通りにはいかないものなのである。
 と、街角で声を掛けたりしているのでも、神通力を駆使しているわけでもないことは分かっていただけたであろう。

 このように、モデルさんを頼んで絵を描くということには、はた目に羨ましがられる以上に、苦労とマメさと、そして何よりも執念が必要なのである。
 また、モデルさんに来てもらうためには、それ相応の生活環境を整えなくては(主に部屋を片づけるということ)ならないし、自分自身や、生活環境をできる限りモデルさんを受け入れうるだけのものにしておかなくてはならない。モデルさんは、絵描きにとってモチーフ(描く対象)だが、その前に人間であり、お客さんであり、頼みを聞き入れてくれた恩人なのだから当然である。
 勿論これは、僕の考える理想的なあり方であって、至らない点も多々あるのだが、そうした意識くらいは持ち続けるべきだと思っている。
 もう一度書くが、モデルさんが絵描きにとってモチーフであっても、結局人とのつき合いであることは事実であって、「引き受けた以上は、何もかも言う通りにしてもらう」などというのは、横暴だと思っている。全ての主導権を絵描きが持つのが当然、みたいなスタンスでやっていたら、モデルさんなど見つかるものではないのだ。
いずれにせよ、人付き合いというものがあまり上手でない僕には、描く以外の苦労が常につきまとう、とても難しいことでもある。
 だからこそ…という形でまとめとするわけだが、種々ある絵に描くべき対象のなかでも、多くの煩雑さをクリアした上で、女性のモデルさんを絵に描くということに、こだわって行きたいと思うのである。

次を読む

戻って読む

『電車の中で読む本』の目次に戻る

書庫トップへ戻る
館内案内へ戻る