13日の金曜美術館

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電車の中で読む本

その4.ボサノバの話

 ボサノバについて書こう。ここからは本格的な時間つぶしの内容である。興味がなければ無理に読まなくても結構である。
 まず、ボサノバとはどんな音楽か、全然知らない人もいるだろうから、大まかな説明をしておこう。1962年、創始者である、アントニオ・カルロス・ジョビンが、サンバとジャズの要素を取り混ぜて作った音楽である。ボサノバとはポルトガル語で「新しく隆起した、あるいは、新しい風潮」の意(葡語に忠実に表記するならボッサ・ノヴァ、ノヴァのヴァは上の歯を下唇にあて…そこまで書かなくてもいいか)で、主にブラジルの公用語であるポルトガル語で歌詞が付けられる。ジョビンを中心として、ジョアン・ジルベルト、カエターノ・ヴェローゾ、アストラッド・ジルベルト、ジルベルト・ジル等が有名。なんて、まるで用語辞典の様な感じで書いてしまったが、僕は音楽の方の専門家ではないので、簡単に触れておく訳である。

 僕がボサノバを意識して聴くようになったのは、大学2年の頃だった。
 映画音楽が好きだった僕は、なんとなくフランク・シナトラとか、ビング・クロスビーとかのスタンダードを聴くようになり、スタンダードからやがてジャズボーカルを聴くようになり、NHKのFMでシナトラの特集をやっていたときにボサノバの代表曲『イパネマの娘』をシナトラがジョビンと一緒に歌っているのをエア・チェックし、「いいな、こういうの」と思っていたのが中学の頃で、それからずーっと気にはしていたが、意識して聴いてはいなかった。
 大学2年のときコンポを購入したおり、FMでジョアン・ジルベルトの歌う『ジサフィナード』を聴いたとき、何て気持ちいい音楽なんだろうと思い、CD(『ゲッツ・ジルベルト』)を借りてきてテープに落としたのが始まりとなった。特にジョアン・ジルベルトの歌声に魅せられてしまい、毎日のように聴いている次第である。

 さて、ボサノバというと、どうも気取ったおしゃれな音楽と思われているようだが、実際はそれほどでもない。というのは、歌の内容が、なーんじゃそりゃ? と思うようなことを歌っていることが事が多いのである。
 例えば、先程例に挙げた『ジサフィナード』は「調子の外れた」という意味で、意訳して「音痴」とされる。ぬわーんじゃそりゃぁ!という感じである。他にも、童話の赤頭巾ちゃんの話をモチーフにしたものとか、靴屋さんが主人公になっているものとか、メルヘンチックな世界が歌われていたりなど、女の子を部屋へ連れてきて、ムードを盛り上げるのには、あまり効果的でない内容のものが多かったりするのである。ま、どうせ歌詞なんて僕をはじめとして普通の日本人が聴いただけで分かるものではないから問題ないのだが。

 どうもこうして書いていて、ちょっと弱気である。なぜかというと、毎日のように聞いていて、ポルトガル語で十数曲を覚えたりしていながら、よくボサノバの事を知らないのである。
 どういう事かというと、目下の所、僕がボサノバについて得られる情報源というと、たまにFMでかかる曲を聴くとか、日本のレコード会社から出たCDに付いている歌詞カードのアーチストや曲に対しての解説であるとか(輸入盤に歌詞カードが付いていることは少ない)そんな物しかないからである。音楽を「音学」と誤解している訳ではないのだが、性格上、気にかかる物、気に入ったものに関して、いろいろとそれについて知りたくなる。調べたくなる。そんなときに日本では情報源が少なすぎるのである。

 だいたい、ボサノバのアーチストのことを、先に挙げた四人のほかに、セルジオ・メンデスとかナラ・レオンとか、あとまあ、小野リサとかぐらいしか知らないし、ときどきCD店でボサノバのコーナーに一緒に並べてあるガル・コスタもボサノバと言うよりは、ブラジリアン・ポップスという感じだし、エリゼッチ・カルドーゾもボサノバのレコードリリース第一作目の『シェガ・ヂ・サウダージ(想いあふれて)』を歌ってヒットさせたものの、その頃はボサノバとしてのリリースではなく、それ以降ボサノバらしきものは歌っていなかったようだし、とにかく僕のような音楽の素人には、判らないことが多すぎるのである。
 それにボサノバのシンガーが、コール・ポーターのスタンダードや、フランシス・レイの映画音楽をカバーしていたりするし、これは間違いなくボサノバだ、と思える曲の中にも、『~のサンバ』とか、『サンバ何とか』というのが多いし(もともとサンバがベースになっているのだし、何と言ってもブラジルの音楽なのだから無理もないのだが)、ジョビンの曲で『ソ ダンソ サンバ(私はサンバしか踊らない)』なんてのがあり、てめえ、ボサノバの創始者だろーっ! ボサノバ魂はどうしたーっっ! と叫びたくなるような物もあったりする。ボサノバ魂って何だか知らないし、ボサノバで踊るという話もあまり聞かないが、とにかく、何を以ってボサノバと呼んだらいいのか知れば知るほど分からなくなってくるし、興味を持てば持つほど、ボサノバの謎は深まっていくのである。
 そんな僕でも、最近になってようやくボサノバには、独特のリズムパターンが幾通りかあるとか、めまぐるしいほどに転調(長調から短調、短調から長調へと、曲の調が変わる事)するところに妙があるとか、それくらいの事は勉強する事が出来たのではあるが。
 でも、どこからどこまでがボサノバで、ここから先は違うとかいう区別の不明瞭さは、他のジャンルでもそうかも知れないし、音楽とはきちんとここからここまでがこのジャンルで…等と分類すべき物でもないとも思うが、ボサノバは特に曖昧である。そんなところからしても得体が知れない。謎である。

 ちょっと余談であるが、謎と言えば『ボサノバの父』と呼ばれる、ジョアン・ジルベルトは、かなり謎めいた所のある変わった人らしい。アルバム『JOÃO』の中の歌詞カードの解説の中にも「その私生活は謎に包まれている」と、紹介されている。
 真夜中にドライブし、まっすぐな道が続くと「星の導くままに」と言いながら目をつむったままで運転したり、ズボンを選ぶのに「穿かない方のズボンが悲しむから」と言って二時間ぐらい迷っていたりとか、他にも色々なエピソードを残している伝説の人なのである。
 1992年にも、久々に企画されたれた母国ブラジルでのコンサートを、突然すっぽかし、訴訟沙汰になったという事件を起こした。今で言うドタキャンというやつである。突然やる気を無くすのか、嫌になるのか、ブラジル人の気質なのか、彼はコンサートを何度となくすっぽかしている。何と『ボサノバの父』と称される彼の正体は、ドタキャンおじさんだったのである。
 また、その時の訴訟に対する判決が、『罰金いくらいくらクルゼイロ(金額は失念)、ただし、近いうちに、ブラジルでコンサートを開き、その収益で支払って欲しい』と言うものであったらしい。大岡忠助ばりの名裁きである。
 ともあれ、わがままと言うか、マイペースと言うか、ボサノバの名盤『ゲッツ・ジルベルト』のレコーディングの時にも、『僕の奥さんも一緒じゃなきゃ仕事しないもんネ』とわがままを言ったのが、当時英語教師だったアストラッド・ジルベルトのデビューのきっかけとなったという、そんな逸話からもその人柄が伺えるというものである。

 さっきも触れたが、僕は昔からスタンダードに類するボーカルものが好きだった。飽くまでも自分の価値基準によるものであるが、歌の巧い人のものでなくては聴く気になれなかった。(「うまい」を、「巧い」と字をあてる理由を察して頂きたい。)いまだに、歌が巧いと節操なく何でも聴いてしまうところがある。例えば、NHK教育の幼児向け歌番組の歌のお姉さんのまさに教科書通りといった感じの童謡や、一昔前のアニメの主題歌とか(1993年四月、堀江美津子のコンサートに行ってしまった。良かった)、今は亡き、藤山一郎の追悼番組とか、最近では、7オクターブの声域というボーカリストとしてのポテンシャルから興味を持って、マライア・キャリーのCDを買ってしまったりとか、そんな具合にそうしたものを、ああ、素晴らしい、と思いながら聴き惚れてしまう。
 だからボサノバも、と行きたいところだが、出来た子供はおろさない。もとい、そうは問屋がおろさない。残念ながらそうはいかない。ボサノバのシンガーの中に、僕の知る限り「巧い」と言える人は思い当たらない。アストラッド・ジルベルトなど、「へたっぴ」のグループに入れても遜色ないと思えるし、ジョビンなど、さっきも書いたが「音痴」というタイトルの歌を(恐らく自嘲的に)作ってしまうのが、充分納得いく歌唱力だし、ナラ・レオンとかも、聞いていてどこか危なっかしい。

 では、なぜ僕は、ボサノバを聴くのか? あるとき僕は考えた。下手な歌を許していいのか? 今までのこだわりは何だったのだ? 等と考えた挙げ句、ある結論に達した。  結局、音楽の嗜好なんて、理屈で云々するべきものではなかったのである。そう、いいと思ったものはいいのだ。音楽とは文字どおり音を楽しめればいいのだ。これでいいのだ。ぼん ぼん ばかぼん ばかぼん ぼん。という訳で、ボサノバは、僕に音楽とのよりよい付き合い方を教えてくれたという訳なのである。

 と、言う訳で、キレイにまとまった訳だが、せっかく十数曲ポルトガル語で覚えたのに、披露する機会が無いのはやっぱり寂しいので、カラオケにもっとボサノバを入れて欲しいと、切に思う今日この頃である。

 1994年の12月、アントニオ・カルロス・ジョビンは他界した。この文章を書いたのは、その一、二年前のことで、彼は60を越える年齢だったことは知っていたが、自分が個展をやる前に逝去してしまうなんて思っても見なかった。彼のオリジナルの楽曲こそ、それほど聞いていない僕であったが、悲しい限りである。この場を借りてご冥福をお祈りします。

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